October 01, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その10

01ed6f53.jpg■2007,8,21(火)
===世界最速431km!リニアモーターカーに乗る!===

昨日は、古代交流史の旅最後の夜を、蘇州の夜店街を見て回って楽しんだ。実は、私だけ旅行社への支払いのためにホテルに残ることに・・・だが、金額が多すぎて換銭(ファンチェン)を断られてしまった。それで、蘇州飯店をチェックアウトして、午前中に銀行に寄り換銭することに・・・こんなことなら、昨夜みんなと一緒に出かけるんだった!(泣)

今日は、中国の旅最終日である。上海に移動して、初日に乗る予定だった世界初の実用リニアとして世界最速のリニアモーターカー(世界初だから当たり前!)で、上海浦東国際空港に向かう。初日に乗れなかったので、みんなワクワクして期待大である。帰りの飛行機にはまだ時間があるので、上海博物館を訪ねることにする。今回は、買い物の時間をあまり取らなかったなぁ。

上海博物館には、中国古代からのさまざまな遺物が展示されているが、その中でも青銅器時代から鉄器時代初期の青銅器の芸術品は素晴らしいものである。上海博物館の見学をする前に、昼食の時間になった・・・予定では広東料理のはずだったが、四川料理に変更になった。最後までスケジュール通りに行かない、古代交流史の旅であった。(苦笑)  続きを読む

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September 30, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その9

2f4f6457.JPG■2007,8,20(月)
===「月落烏啼霜満天・・・」の寒山寺(ハンシャンスー)がある蘇州(スジョウ)===

無錫の泥人形館をあとにして、蘇州(スジョウ)へと向かった。蘇州市は、江蘇省の南端、長江三角州の中心に位置し、上海市と接している。総面積8,488平方km、6区5県級市からなる。総人口591万人の都市である。西に太湖が広がり、北東を長江が流れている。市街地の西を京杭運河が流れ、さらに細かい運河が網の目のように走っている。そのため、いたるところに太鼓橋が架かり、東洋のベニスと称えられている。

蘇州は、紀元前514年に呉王闔閭(コウリョ)が、周囲25kmの城壁を築いて都にしたことに始まり、2500年以上の歴史をもつ古都である。もともとは?蘇(コソ)と呼ばれていたが、隋の開皇9年(589年)に蘇州と改称された。宋代には刺繍と錦織が発達して、現在も刺繍はこの地の代表的な特産品である。元代にはマルコポーロがここを訪れ、その美しさを絶賛している。明代には人口100万人の国際都市であった。

現在では、上海に近いこともあり、市の東西二つの地区に工業特区が建設され、日本からも多くの企業が進出している。蘇州では、寒山寺(ハンシャンスー)、虎丘(フーチウ)、北寺塔(ペースーター)、蘇州刺繍研究所などを視察する。その前に腹ごしらえを・・・(笑)  続きを読む
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September 25, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その8

37495687.jpg■2007,8,20(月)
===無錫(ウーシー)の恵山泥人廠(ホイシャンニーレンチャン)を訪ねる===

中国・古代交流史の旅の五日目は、昨日訪れることができなかった恵山泥人廠(泥人形工場)を午前中に訪ねることである。美しい女性の泥人形をお土産にするためにである。ホテルを出発して錫恵公園(シーホイゴンユエン)に向かう。錫恵公園の側には、無錫市街地のほぼ中央を通る京杭運河が流れている。

錫恵公園は、錫山と恵山の二つの山で構成されている。恵山は標高74,8mで、リフトでも徒歩でも登ることができる。錫山は、文字どおり錫が採掘されていた山である。かつて大量の錫を産出していたが、漢代に掘り尽くされてなくなった。それで現在、無錫と呼ばれるようになったという。

無錫市は、6区と江陽市、宣興市の2県級市から成り立つ、総面積4,788平方km、総人口442,5万人の都市である。上海に近いこともあって、郊外は急速に工場が増えて工業都市化が進んでいる。

史記によると、殷(商)代末に周の太王の長子「泰泊(たいはく)」が、現在の無錫市海村に城を築き句呉国(くごこく)を建設したという。紀元前248年には、楚の「考烈王(こうれつおう)」が現在の城中公園の位置に城郭を築いた。紀元前202年(漢の皇祖5年)に無錫県となり、現在にいたっている。  続きを読む
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September 18, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その7

d328baea.jpg ■2007,8,19(日)
===「無錫旅情」の太湖で、水に親しむ===


昼食に楊州点心を堪能して楊州市からは、高速公路の潤楊長江大橋を渡り鎮江市に入った。ここにも片側3車線の長江大橋が架けられている。中国での高速公路の建設は、日本では考えられないくらいのスピードで進められている。用地買収の手間はかからないといっても、なんともすごい早さである。

鎮江市の南のジャンクションで、南京からの高速公路に合流する。ここから、丹陽市、常州市を通り無錫へと向かう。丹陽市は、当NPO法人東アジア交流学院の中国語教室講師の顧先生の故郷である。が、高速公路は市の郊外を走っているので、遠くに眺めるだけである。丹陽市は鎮江市では、第2の人口を有する都市である。鎮江市は、3区3市からなる総面積3,847平方km、総人口267万人の都市である。

南京市から上海市までの約400kmにおよぶ高速公路は、片側4車線の大動脈である。以前利用したときは、片側2車線でだったのに・・・ここでも拡幅工事が進んでいたんですね。丹陽市を過ぎると、常州市に入る。常州市は、5区2市からなる総面積4,375平方km、総人口346万人の都市である。二つの湖の周りに広がる、蝶が羽を広げたような形をしている。

常州市を過ぎると、30分ほどで無錫市である。無錫市は、6区2市で成り立つ総面積4,788平方km、総人口443万人の都市である。市中心部の人口は、150万人ほどだと伺った。以前にも書いたと思うが、中国の市は、日本でいえば県に相当する。市域がとても広いので、中心部の人口で判断することが適当だと思う。無錫に到着して、太湖の北にあるゲン頭渚公園(ユエントウジューゴンユエン)を訪れた。  続きを読む
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September 17, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その6

6adcd603.JPG■2007,8,19(日)
===鑑真和上の故郷、楊州(ヤンジョウ)へ===

南京で最初に架けられた長江大橋は、見学できなくてもさほど残念に思わなかったが、南京虐殺記念館=侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館を見学できなかったのは非常に残念だった。現在リニューアル工事中で、南京事件70周年を記念して12月にオープンされるまで見学不可となっている。それで、前日渡った高速公路の長江大橋を渡り直して、楊州へと向かった。

楊州の歴史は、春秋時代(紀元前486年)に呉王「夫差(ふさ)」がこの地に城を築いたことに始まる。鑑真和上の故郷であり、唐(タン)の天宝年間に鑑真和上がこの地より日本に向けて旅立った(5度失敗し、来日は754年)ことはあまりにも有名である。また、日本の遣唐使の多くが楊州を通って長安に入っている。空海もまた、804年に揚州を訪ねて、この地より帰国している。

現在、揚州市は総面積6,634平方km、総人口454万人。3区、3市、1県から成り立っている。中心市区には、約60万人が生活している。2005年に、高速公路の潤楊長江大橋が開通した。したがって、楊州では痩西湖公園(ショーシーフーゴンユエン)、大明寺(ダーミンスー)、京杭(けいこう)大運河を視察する。そして、楊州点心料理を堪能する。  続きを読む
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September 11, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その5

4bf8794d.JPG ■2007,8,18(土)
===古都南京の玄武湖と夜の夫子廟見学===

中山陵(ジョンシャンリン)の見学を終えて、玄武湖公園(シュエンウーフーゴンユエン)へ向かった。途中、明孝陵(ミンシァオリン)を通るが寄らなかった。

明孝陵は、明王朝を開いた太祖の朱元璋(洪武帝)の陵墓である。明代の陵墓では、最大級の規模を誇る。1381年に完成し、朱元璋より先立った馬皇后も、一緒に埋葬されている。残念ながら、戦火で焼かれ、一部しか残っていない。明代から残る石獣12対が並んだ、石像神道が有名だ。

玄武湖の真下を貫いているトンネルを通り、玄武湖公園に到着した。旧南京城の東北に位置している。したがって玄武湖は、城外になる。城壁の玄武門をくぐり抜けて、公園の入り口に着いた。だが、体調をくずした参加者が出たので、バスに乗ったまま見学することになった。長距離の移動と連日の暑さにまいった!

玄武湖公園は周囲が15kmあり、六朝時代には歴代皇帝の水遊びの場だったところで、現在は南京市民の憩いの場であり、観光名所でもある。島を渡っていると南京駅が見えた。以前来たときは古い駅舎だったが、現在は近代的な駅舎に建て変わっている。そういえば、前回訪れたときに城壁の修復作業をしたっけ!どこだったか?・・・まったくわからない!(悲)

昨日からの長距離移動で疲れも溜まっているので、最初に建設された南京長江大橋の見学を取りやめて、今夜の宿舎である状元楼酒店(南京で最高レベルの五つ星ホテル)に向かった。シャワーを浴びゆっくり休憩して、夜の夫子廟(フーズミャオ)周辺の散策を楽しむことにする。ホテルからはすぐ近くだ。

夫子廟は、市中心南部の秦淮河の近くに位置する。1034年(宋の景祐元年)に創建された。廟や付近の建物は、日本軍の南京侵攻により破壊されたが、1984年から5年かけて再建されている。ここは昼間よりも夜の方が、圧倒的に訪れる人が多い。それは、付近一帯が、イルミネーションでライトアップされるからだ。南京の恋人たちのデートコースである。

夫子廟の前の運河では、秦淮画舫(しんわいがほう)という昔ながらの遊覧船が溜まっている。私たちが行ったとき、演奏している楽団が乗った船がちょうど運河を通り過ぎていた。日没直後でまだ辺りは明るいが、イルミネーションにも少しずつ明かりが灯り始めた。これから夜の夫子廟を楽しもう。その前に腹ごしらえをしなくちゃね。食べる前には、暑いから当然ビールでしょう。体調がすぐれない人も、これで元気になれるね。(笑)  続きを読む
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August 30, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その4

11624207.JPG■2007,8,18(土)
===古都南京を訪ねる===

今日は連雲港から江蘇省都の南京まで、およそ400kmを南下する。昨日の移動に比べれば、近いものである。それでも高速公路で、約4時間の行程である。でも今朝のホテル出発は8時だから、ずいぶんゆっくりと朝食を食べることができた。宿泊した神州賓館は、国際港連雲港の西端にあり、連島(リエンタオ)へつながる中国一長い西大堤が、目の前に見えるロケーションだ。

昨夜は遅くまで連雲港市徐福研究会の皆さんと親善交流をしていたので、朝になってから素晴らしい景色に気が付いた。朝寝坊の私は行けなかったが、ホテルの目の前に黄海が広がっている。海岸沿いは公園になっていて、散策した参加者が清々しい気持ちになれたと話してくれた。

連雲港市から南京までは、昨日と同じく延々と続く防風林帯に挟まれた高速公路をひたすら南下する。途中、河川や運河に架かる橋を渡るときに少しだけ景色を楽しむことができる。ほとんど平らな平野部だから山を眺めることもない。睡眠学習をしてた参加者も、南京に近づくにつれ目が覚めてきた。

南京では、「南京虐殺記念館」が改装工事中で見学できないので、もっぱら一般的な観光名所を廻ることにする。市街地には長江二橋を渡ることになるが、この橋は八卦州という中州を通るので二つの大橋を渡らなければならない。渡り終えて中山陵(ジョンシャンリン)に向かうインターで、ちょっとしたアクシデントが発生した。

インターで市中心部に向かわなければならないのに、上海に向かう高速公路に入ってしまったのだ。幸いゲートの手前に、Uターンできるところがあって事なきを得た。一旦ゲートを通ったら次のインターまで行かなければならないから、大幅な時間のロスになる。ゲートの手前にそういう場所が作ってあるということは、間違うドライバーがけっこう多いということだろうな。(苦笑)

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August 29, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その3

d8930ea0.JPG■2007,8,17(金)
===徐福村訪問・連雲港徐福研究会交流===

今回の重要な目的地の江蘇省連雲港市へ向かう。上海から高速公路(高速道路)を使ってマイクロバスで、およそ600kmの長旅である。したがって、ホテルを6時半に出発した。当然、朝食はお弁当である。当初は6時間で到着の予定であったが・・・それでも連雲港市には昼過ぎにしか着かない!・・・実際にはおよそ700km、7時間もかかってしまった。

江蘇省は、中国・長江下流に広がる黄海に面した省である。北に山東省、西に安徽省、南に浙江省と内陸部は三つの省と接している。面積10,26万平方km、人口7,406万人。13の市と52の県がある。1992年福岡県と友好交流省県の締結をしている。連雲港市は江蘇省の一番北の端にあるので、私たちは江蘇省を南から北へ半日で縦断したことになる。とんでもないハードスケジュールを組んでしまったものだ。

上海から2時間ほど走り続けて、江陽市で江陽長江大橋を渡った。最近の高速公路の建設はめざましく、長江には江蘇省だけで五つの長江大橋が架けられている。日本と違って用地買収など必要ないので、高速公路の建設はあっという間だ。最近建設された高速公路は、片側3車線で両側に防風林帯が設けられ車も少ないので走りやすい。しかし、私たちのバスは制限速度を守っているので、抜かれるばかりである。

江陽長江大橋を渡ってからは、都市部を避けて田園地帯を延々と伸びる高速公路を、ひたすら連雲港市を目指して走った。ただし、道路の両側は幾重にも植樹された防風林帯となっているので、車窓からの眺めはとても単調だ。・・・というより、防風林以外ほとんど見えない。防風林の切れ間からときおり見える景色も・・・ほとんど水田である。だから、必然的に睡眠学習の時間になってしまう。

上海からおよそ7時間、長い長い高速公路での移動に終わりをつげ、連雲港市に到着した。現地のガイドと合流し、遅めの昼食となった。連雲港市は、孫悟空が生まれた花果山があることで有名だ。ガイドさんに説明を受けるまで、私は知らなかった。浅学を恥じるばかりである。まあ、孫悟空は実在してないお話の世界だから・・・ね。(苦笑)昼食後、連雲港市徐福研究会の副会長・張 良群さんの案内でカン楡県徐福村へ向かった。

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August 27, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その2

94b3459b.JPG■2007,8,16(木)
===上海の夜を楽しむ!===

今日の宿舎である新元大酒店にチェックインしてから、上海旧市街の外灘(ワイタン)などの観光に出かけた。黄昏時の南京路は、まだまだ暑い。だけど、行き交う人は福岡でも見られないくらいに多い。こんなに多いと、人ごみに酔ってしまいそうになる。

南京路は、100年以上前から栄えている、上海一の繁華街である。南京路は東西に分かれていて、南京東路は全面歩行者天国で、通り沿いにはあらゆる店が建ち並んでいる。とても全部は見て回れない。ガイドの鄭さんに案内され入ったところは、地元の人たちが買い付ける生鮮食材を専門とするデパートだった。珍しい食材が並んでいて、見て回るだけであったがけっこう楽しめた。

南京東路を西の端まで歩いてから、こんどは歩行者天国専用の電気自動車に乗って東の端をめざす。このバスというか列車というか・・・遊園地にある連結された電気自動車に乗るのにも一苦労だった。観光客も多いから、乗るには競争して席を確保しなければならない。みんなで一緒に乗るはずだったが、乗り損ねてしまった。

ようやく乗った電気自動車から眺めていて気が付いたが、この南京東路には熊本の「味千ラーメン」が見える範囲で3店もあった。しかもどの店も人が一杯!青島(チンタオ)のジャスコにもあったが、ここへの店舗進出もすごいんだろうなぁ〜・・・熊本の次に多いのは上海だったりして・・・?上海に来て、妙なところで感心してしまった。

南京路を歩いて散策した後、夕食のレストランに移動した。初日から移動続きで、ずいぶん歩いたので、バンド=外灘(ワイタン)は車窓から眺めることにする。上海を代表する観光スポットである。清朝からの租界時代の石造りの高層建築が、黄浦江の西岸に建ち並んでいる。夜になると建物がライトアップされ、美しい幻想的な雰囲気になる。

明日がメインの連雲港市「徐福研究会」との交流なので、今日は早めに休むことにする。江蘇省連雲港市までは、高速道路で6時間の予定である。上海は浙江省だから、江蘇省を南から北に縦断することになる。翌朝6時にホテル出発のハードスケジュールだ。  続きを読む
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August 26, 2007

中国・連雲港古代交流史の旅 その1

519e6ba2.JPG ■2007,8,16(木)
===徐福の故郷を訪ね、徐福東渡を検証する!===

今年も古代交流史の旅で、中国へ行くことになった。今回は、江蘇省連雲港市へ、徐福の足跡をたどる旅である。当学院では、この2年ほど徐福関連の公開講座やフィールドワークを実施して、九州筑後における徐福の足跡を探索してきた。江蘇省カン楡県徐福村を訪ねることは、メンバーの悲願でもある。16日早朝、集合場所の福岡空港国際ターミナルへと向かった。

国際ターミナルに到着したときには、すでに参加者全員が集まっていた。10:00発中国東方航空MU532便で、上海浦東国際空港をめざす。空港からは、世界初のリニアで上海龍陽路駅に向かう予定である。上海市内では、世界第3位の東方明珠塔(トンファンミンジュター)やバンド=外灘(ワイタン)などを観光する。

福岡空港での搭乗手続きで、トラブルが発生した。最近の航空事情は、特にテロ対策に力を入れている。機内には、金属の刃物や液体類は手荷物では持ち込みができなくなっている。同行のOさんは、水分補給のためにバッグに入れていたお茶とスポーツドリンクが見つかり、係で止められてしまった。結果、全ては廃棄処分に・・・(泣) まあ、とにかく無事に搭乗を済ませて、全員上海へと飛び立った。

上海浦東国際空港には、現地旅行社の鄭さんが出迎えてくれた。リニアで上海市内に向かう予定だったが、ヨーロッパからのリニア視察団が貸し切りにしたとかで、マイクロバスで市内に向かうこととなった。旅行にアクシデントはつきものであるが、初日から予定と違うと・・・なんだかなぁ〜?!   続きを読む
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June 18, 2007

中国連雲港古代交流史の旅

155392d9.JPG ■「中国・古代交流史(連雲港・南京・)の旅」

●主 催;NPO法人東アジア交流学院 学院長;内倉 武久
●協 力;連雲港市「徐福学会」

今、佐賀県ではテレビ局や新聞社などが中心となり、徐福関連のシンポジウムが開催され注目を集めています。当学院でも、ここ二年ほど公開講座やフィールドワークなどを実施して、北部九州各地に残された徐福伝説の検証をすすめてきました。

日本の弥生時代に徐福一行は、有明海から上陸してこの筑紫平野一帯にその足跡を数多くしるしています。昨年11月のフィールドワークでは、諸富町浮盃からみやま市を訪れ徐福の足跡をたどりました。

偽書とされる「富士古文書」によれば、富士山麓に来たのは徐福の三男とか。また、一緒に渡海した500人以上の名前が記されています。日本国内ではまだ徐福を伝説としかとらえられていないのは残念なことです。

1982年に中国で徐福村が発見されたことから、日中韓でのシンポジウムなどが開催され徐福研究が進んでいます。

今回の「中国・古代交流史の旅」では、日本に来航し多くの技術を伝え、弥生時代の発展に貢献したであろう徐福ゆかりの中国江南地方を訪れ中国との古代交流の歴史を体感し日本人のルーツを検証するとともに、山東半島付け根に位置する連運港市の「徐福学会」を表敬訪問して、中国の徐福研究者との友好親善を深めたいと考えます。

ぜひご一緒に、中国との交流の歴史を学び、徐福の故郷を訪ねてみませんか。

■主 旨;個と個のつながりを広め深めて、東アジアの友好親善をはかる。
■内 容;中国江南地方を訪れ、日本の弥生時代の原点とも言える稲作地帯を視察し、中国との古代交流の歴史を体感し日本人のルーツを検証する。連雲港市の「徐福学会」を表敬訪問し友好親善を深め、現在の中国での徐福研究の進展を学ぶ。
■期 日;2007年8月16日(木)〜21日(火) 5泊6日
■団 長;内倉 武久 NPO法人東アジア交流学院学院長
■行 程;福岡〜上海〜連雲港〜南京〜無錫〜蘇州〜上海〜
■交 通;中国東方航空(往復) 中国国内は貸し切りバスを使用
■宿 泊;上 海:上海市内のホテル
      連雲港:連雲港市内のホテル
      南 京:中心大酒店
      無 錫:無錫大飯店
      蘇 州:蘇州飯店
■費 用;1人/130,000円(2人1室利用)
      ※福岡空港使用料・上海空港税・航空機燃料特別税などが別途
      11,000円ほど必要です。  続きを読む
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September 23, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅・報告 その12

 翌日・・・

 いやぁ!・・・昨夜は、送別会で飲み過ぎた。気がつけば、青島ビールの空き瓶が・・・王老師と乾杯(カンペィ)を繰り返した(ほとんど、彼と乾杯していた)だけでなく、乾杯したあとにすぐさまビールを注ぐヤツがいた!私が気づかないうちに背後で待っていて、飲み終わるやいなや絶妙のタイミングでグラスにビールを注ぐのだ。そいつが、この小姉(シャオジェ)だ!

 宴会が終わって(他のみんなは、とうに帰ってしまっていた)、王老師と肩を組んで留学生寮まで帰った。・・・っていうより送ってもらった。寮の玄関で、王老師と別れて部屋に向かった。・・・までは覚えて居るんだが・・・・・・!

 翌日、起こされるまで・・・記憶がない!

 また、やってしまった!

  
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September 22, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅・報告 その11

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 いよいよ明日は、青島を離れて帰らなければならない。今夜は、送別会である。青島大学の老師たちに招かれて、送別会の会場の「学術交流中心」に向かった。「中心」とは、日本で言えばセンターのことだが、あまりにも直接過ぎてもっと粋な訳はないのかと思う。

 いつものことだが、別れの宴では飲み過ぎて感傷的になるから嫌いだ。しかし、飲むのは好きだからなぁ・・・断れないんだよね

 などと考えていると、送別会は始まった。

 お世話になった、干副所長、王老師、馬老師、それに通訳の殷さんと一緒に、乾杯(カンペィ)の連続だ!いろいろ親身になってお世話をしてもらったから楽しくて、今夜は余計にビールが入るようだ。Y親子とSは、目でチョーシに乗るなよと威嚇してくる。それでも、今夜は止まらないんだよね・・・笑

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 酒宴は、今回の旅の話で盛り上がった。特に王老師とは、競うようにカンペィを繰り返した。

  
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September 21, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅・報告 その10

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 海水浴場の向こうに、アドバルーンが上がっている会場がある。殷さんに訪ねると、青島ビール祭りの分会場だという。これは、行くしかない!疲れていたはずだが・・・自然に足が速くなる・・・しょうがない。

 会場に着くと・・・ほとんど人がいない!なんで?それでも、一応店は開いているみたいなので、青島ビールのブースに入る。Yさん親子もSも仕方なさそうについてきた。「また、ビールを飲むんだ」とブツブツ言われてしまった。さっそく、焼き鳥とビールを注文する。注文を取りに来た店員に、日本語で返されたのには驚いた。聞けば、青島大学の日本語科の学生だという。通訳の殷さんとは教室が違ったので面識はないようだが、夏休みを利用してアルバイトに来ているのだ。いろんなところで、いろんな出逢いがあるものだと思う。

 飲みながら話していたら、のんべには付き合いきれないと、私だけを残して彼女たちは買い物に行ってしまった。仕方がないので、アルバイトの学生たち別れて、大学に払うお金を銀行に両替に行くことにする。

 もちろん、銀行へもバスに乗る。銀行で両替したら、大学に戻らなければならない。大学へももちろんバスで帰る。そうこうしていると、ビールもさめてしまった。

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 大学では、王科長にあって支払いを済ませた。留学生寮の宿泊代は、一人一泊90元である。安い!その後、鳥栖から参加のYさんと一緒に、干副所長と話をした。それが済んだら、今度は送別会だ。また、飲めるぞ!明日は帰るし、飲むぞー!




 画像は・・・ブースで出会った青島大学のバイト生の王君と通訳の殷さん  
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September 20, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅・報告 その9

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 8/23(火)

 前日に門限を破ったので、起きてすぐに謝りに行った。守衛さんは、昨夜のことは忘れたように、まるで全然気にしていないそぶりで優しく対応してくれた。本当に申し訳なかった。すみません。

 今日は、一日全くのフリーで(私とYさんは午後に用事が・・・)青島市内の観光に出かける。気持ちは青島ビール祭りに行きたかったが、Yさんの勧めもあって「水族館」に行くことになった。

 水族館は、青島大学からバスで行くことにする。バスは、市内であればどこまでも一元だ。クーラーの効いたバスは、二元。バスの路線がわかっていれば、これほど安くて便利な交通手段はない。時間があれば適当に乗って、どこに行くかちょっとした冒険を楽しめる。が、今回は目的地まで直行する。中山公園を過ぎて、魯迅公園で降りると水族館はすぐである。

 水族館では、興味がなかったので余りよく覚えていない。ただ、鮫やエイなどのはく製がたくさん展示してあり、「触らないで」と注意書きがあるにもかかわらず、みんな平気で触っていた。注意に従うのは、僕らくらいかな・・・!いや、触らない人もいたけど、触る人の方が圧倒的に多い!

 ここは広くて、見て回るだけでけっこう時間がかかる。歩き回らなければならないので、疲れた。

 水族館を出て、魯迅公園を歩く。遠くに海水浴場が見える。以前に来たときよりも、人では少ない。夏休み中といっても、今日は平日だもんな。

 ・・・つづく

  
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September 18, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅・報告・その8

b1768743.JPG二日間でおよそ1500kmの旅を終えて、青島に戻ってきた。久しぶりに食べた海鮮料理は、おいしかったなぁ!Y親子の選択眼は、素晴らしい!食べてる途中で鳥栖から参加したYさんが、青島のお友達に案内してもらってディスコに行こうと言い出した。疲れているはずなのに・・・あぁ、帰りの車で十分に睡眠を取ってたもんね。みんな賛成して、店の前でお友達と会うことになった。

言われた店に着くと・・・なんだか妖しい雰囲気。ここは、ホントにディスコなの?しつこい客引きもいて、ますますあやしい・・・店を間違ったかも・・・?お友達が来るまで、待つことにする。

暫くすると、お友達のA君がやってきた。間違ってなかったようだ。一同ほっと安心して、ディスコに入った。

仲良くA君と・・・ここの店は、ディスコというよりキャバレーに近い。ダンスショーだけじゃなくお笑いのショーもやっていた。けっこう面白い・・・踊りたいSは、「まだ、ディスコタイムにならないの?」と、なにやら文句を言いに行きたそうである。ビールを飲みながらショーを見てA君と話しがはずんだ。ふと時間を見ると11時をまわっている!わぁ!大変だ!大学の門限が・・・あわてて、タクシーに飛び乗った。

留学生寮に戻ってきたら、門が閉められている!守衛さんにさんざん怒られたが、「トゥブゥチィ」を連呼して入れてもらった。なんとか寝る場所は確保できた。よかったぁ・・・

つづく・・・  
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September 14, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅・写真集

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青島大学留学生寮の門と建物

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青島大学留学生寮の部屋
ホテルなら三つ星クラスに相当

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青島大学での歓迎会

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瑯耶台の資料館

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両手を広げて立つ始皇帝像

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徐福像

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斎堂島と漁船

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蓬莱島を指さす始皇帝

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遊覧船から青島市街を眺める

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すぐに長い車列ができた・・・
事故があったらしい

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マイクロバスの残骸
乗客は・・・?

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孔廟の入り口
観光客であふれている

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孔子廟 本殿

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鼓楼

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ホテルでの食事

孔子の墓標
山頂にある孔子の墓標

馬車
馬タク?

  
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September 13, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅 その7(四日目)

泰山に登るロープウェイ22日(月)



今日は、いよいよ泰山に登る。今回の旅のメーンエベントである。ホテルをチェックアウトして、ワゴンに乗り込み出発。



出発して暫くすると、ガイドの宋さんとドライバーの劉さんがなにやら険悪な雰囲気。何か宋さんがののしっている様子。劉さんが「とぅぃ ぷー ちぃ〜!」と、仕方なしにはき出すように言う。何かあったのか・・・?また、道を間違ったようだ。一回りして、宿泊したホテルの前を通過する。ここで、みんなも気が付いた。まぁ、ご愛敬ですね。右折するところを、左折しただけですから・・・笑



中天門駅より泰山泰山に登るルートは、ロープウェイだけでも3ルートある。以前、登ったことがあるルートとは違ったところに着いた。ここからは、シャトルバスでしかロープウェイの駅へは行けない。入山制限をしているようだ。



南天門に続く階段泰山は、中国でもっとも有名な山である。中国五大名山の一番目に位置する。標高がわずか1545mである泰山が、なぜ一番なのか?それは始皇帝以来、中国の歴代皇帝が封禅の義の儀式を行い、天と地が結合しているところだと言われているからである。泰山が安らかであれば、天下は安らかになると言われている山である。歴代皇帝たちが、輿に担がれて登った8000段近くの道はあきらめて、もちろんロープウェイに乗る。



シャトルバスで30分ほどで、中天門の停留所に着く。ここからロープウェイの中天門駅まで、100mほど急勾配の階段を昇る。これが結構きつい。車道があるんだから、駅までバスを走らせてほしいんだけど・・・



ロープウェイは、絶景である。天気が良かったので、泰安の街まで一望できた。高所恐怖症の方は、ご遠慮頂くしかない。と、思えるほどの高さを通る。わずか十数分で南天門駅に着くが、まだこれから徒歩で登らなければならない。南天門は、天国への玄関口だと言われている。これをくぐれば、仙人になれると・・・?南天門から、下界へのびる階段を眺めると、天秤棒に荷物を担いだ人が登ってくる。階段を登れば、5時間はかかると言われたのを思い出した。この人たちは、いつ登り始めたの・・・?



南天門から山頂への参道山頂までは、だらだらとした参道が続く。快晴で、眺めが素晴らしい。前回は天候が悪く、ガスっていて何も見えなかったので余計に感動する。「太好了!」


山頂には、社?がある。中央に1545mの石碑が置かれている。少し離れたところには、中国気象庁の測候所もある。直ぐ下には、ホテルもある。・・・名前がいい!「神憩飯店」だって・・・すごくいいなぁ!



南天門より階段を見下ろす山頂付近からの眺めは、素晴らしかった。みんなと離れて、日の出を眺める場所へ向かう。そこへ行くには、太陽の形になった門をくぐり抜けて行く。ちょっと歩かなければならないので、中国人の観光客も行く人は少ない。行けば、当然絶景が広がっている。



眺めていれば、キリがないので下山する。天気がいいので、泰安の街を見ながら南天門駅まで戻る。本当に素晴らしい景色である。



中天門駅まで降りてきて、シャトルバスを待つ。なかなか来ない。バスはたくさん停まっているんだけどなぁ・・・もしかして、昼休み?運転手さんが、昼飯をかかえて事務所へ消えて行く・・・やっぱり!ぼくらも腹減ったよぉ〜・・・ガイドの宋さんが、「少し待ってて」と、階段を登っていく。暫く待つと、シャトルバスが降りてきた。ありがとう宋さん。ガイドさんは体力が必要です。



山頂にある石碑泰山を下山して、泰安で少し遅い昼食をとる。食べ終わったら、高速道路を6時間くらいかけて青島に戻ることになる。ドライバーの劉さんには、大変ハードな二日間だよね。



青島までの帰り道は、当然、防風林とトウモロコシ畑の連続で、単調な旅だった。途中のサービスエリアの売店に、青島ビールが有ったのには嬉しかったなぁ。Sちゃん、差し入れありがとうね。日本のサービスエリアには、絶対アルコール類はないんだけどね。あとは青島に着くまで、みんな寝てました。ドライバーの劉さん、ごめんね。



宋さんとドライバーの劉さん青島に着くと、彼女たちともお別れだ。海鮮料理のレストランまで送ってもらって、お別れをした。二日間で、約1500kmを運転してくれた劉さんと握手をする。そして、みんなで記念撮影。案内をしてくれたガイドの宋さん、ありがとう。一人で運転してくれたドライバーの劉さん、お疲れ様。二人のおかげで、いい旅ができました。



つづく・・・
  
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September 12, 2005

中国山東省古代交流史探訪の旅 その6

冷たいビールとぬるいビール

 21日夜、泰安の街に着く。泰山の麓に広がる、人口533万人の都市である。であるが、市域が7762平方?で宮崎県とほぼ同じなので、あえて大都市とは呼ばない。中国は広い!日本と違って、市と言っても県と同じと考えた方がわかりやすい。市街地の人口は10分の1くらいかな?例によって、ガイドの宋さんとドライバーの劉さんが迷いながら、やっと泰安新大都飯店に到着。お腹すいたよぉー!

 ホテルのレストランで、遅い食事をとる。さっそくビールを注文。生ぬるいビールが出てくる。以前の中国では当たり前だった生ぬるいビールだが、最近はどこも冷えたビールを出してくれるんだけど、ここは違うみたいだ。冷えたビールを注文すると・・・「8元です。」だと!大抵どこでも5元なのに・・・!出た!冷やし賃を上乗せした商売だ。いや、「冷やしたのは、量が多いです。」と来た。たしかに、冷えたビールは、ちょっと大きめのボトルだったが・・・せこいこと言わないで、楽しく飲めばいいのにね。大瓶を100円で飲めるんだから・・・

 食後、夜の街に繰り出す。でも、近くをブラブラしただけ・・・

  
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September 05, 2005

中国山東省古代交流史の旅・その5

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 孔子は、中国春秋時代の思想家で、儒教を開いた人だ。B.C551年に魯の国(山東省曲阜)に下級武士の次男として生まれ、B.C479年に亡くなったとされる。釈迦と同時代を生きた人で、それに、当時としては長寿の人である。仁・義・礼・智・信に基づいた正しい徳による政治を行うことで、世の中を安定した社会にすることをめざした。孔子の言葉(思想)をそのまま後世に伝えるものとして、彼の弟子たちが編纂した「論語」がある。

 まず、孔子廟を訪れた。曲阜の旧市街には、本殿より高い建物は建てられていない。孔子を尊敬しているためだと聞いた。広大な敷地に数多くの建物が、南北に配列されている。ガイドの宋さんに説明されながら、孔廟を散策した。

 孔廟を後にして、孔府へ向かう。途中、時を知らせるのに用いられた「鼓楼」を眺める。孔府は、孔子一族が生活した住居である。現在でも、曲阜の人口の20%は、孔子の子孫なんだそうだ!また、孔という姓の人が7割をこえるらしい・・・ほんまか?

 孔府から孔林へは、ワゴンで移動する。馬車タクシーに乗りたいなあ〜と思っていたが・・・孔府を出ると、物売りや輪タクなどの売り込みと物乞いがうるさくて・・・ワゴンに飛び乗るはめになった。

 孔林は、孔子一族代々の墓があるところだ。広大な敷地のうっそうとした森の中に、数万の墓石があると言われている。孔林に入るまで、長い参道の両側には露店が続いている。ここは、孔子の墓墳だけを訪れる。あまりにも広いので、あとはパスする。だって、墓石だけしかないもんねぇ・・・それに、蚊も多いし・・・

 曲阜をあとに、泰安へ向かって移動する。また、高速道路で一時間ちょっとだと・・・今日は、移動距離が長い!

 つづく・・・ 

  
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