October 25, 2006

2006年10月 公開講座(フィールドワーク)その1

160ef453.JPG ■テーマ:「徐福の足跡をたずねて」PART2 方士「徐福」の痕跡を探る
■講 師:内倉 武久 NPO法人東アジア交流学院学院長
■場 所:諸富町浮盃(ぶばい)・新北(にきた)神社〜瀬高町こうやの宮・その他

9月の宇田明男さんの講座を受けて、今月の公開講座は「徐福の足跡をたずねて」PART2、方士「徐福」の痕跡を探ると題してのフィールドワークである。22日(日)、私たちは朝8:30に事務所に集合して、「徐福」の痕跡を探るためにマイクロバスに乗り込んだ。

まず、徐福が上陸したとされる諸富町浮盃(ぶばい)をめざして、筑後川の右岸を進んだ。浮盃(ぶばい)とは、徐福一行が上陸地点を探すために有明海に朱色の大盃を浮かべて潮の流れをよみ、その盃が流れ着いた場所から上陸したと言われている場所である。

現在その場所は、すでに廃線になった鉄道の大川昇降橋から南西に行ったところにある。筑後川が早津江方面に川筋が分かれるところである。付近は漁船の船溜まりになっている。

えっ!ここが徐福の上陸地点?と、思ったが、徐福一行が上陸したのは今からおよそ2200年前であるから、当時とは地形も海岸線もまったく変わっているのは当然である。

当時、上陸した徐福一行は、一面の葦原を掻き分けて進んだので、その葦の片側の葉が落ちてしまった。そして、このあたりの葦は片一方にだけしか葉が付いていないため「片葉の葦」と呼ばれている。また、落ちた葉は筑後川にしか生息しない「エツ」と呼ばれる魚になった。・・・との伝説がある。

私たちは当時の海岸線を研究していくことにより、徐福一行の上陸地点やその他の関係地点の関連を、さらに解明できるのではないかと考えている。

上陸地点の浮盃(ぶばい)をあとに、徐福が上陸記念に植えたといわれる「ビャクシン」がある新北(にきた)神社に向かった。上陸地点の浮盃からは、車で5分とかからない近さである。
d766d153.JPG始皇帝に命ぜられた不老不死の妙薬を捜しにきた徐福一行が、上陸したとされる浮盃(ぶばい)の岸辺。ちなみに、命じられたのではなく、徐福が提案したのだと考えた方が正しいのではないだろうか?その方が、徐福という人物の真実に迫れるような感じがする。

f395fd71.JPG浮盃(ぶばい)で、当時の海岸線が描かれた地図を手に、徐福一行が上陸した当時の地形に思いをはせる。残念ながら、近くに「片葉の葦」は見あたらなかった。当時の葦原は今はもうないのは、当然である。

d032591c.JPG徐福上陸の地、浮盃(ぶばい)には説明板も立てられている。が、さすがに記念碑はなかった。しかし、最近の徐福ブームを考えると、近い将来記念碑が建てられる。かも知れない・・・?!

e81527f8.JPG新北(にきた)神社の山門。山門からは、まっすぐ南に参道がのびている。もちろんその先には、浮盃(ぶばい)の集落がある。浮盃に上陸した徐福一行が葦原を掻き分けてたどり着いたのが、ここ新北(にきた)神社だったのだろうか?

7db3b5b5.JPG上陸の記念に植えたといわれる「ビャクシン」。たしかに古木である。推定樹齢が2200年と説明されているが、とてもあるようには見えない。・・・二代目か?それとも三代目?徐福の故郷の江南地方には、この「ビャクシン」がたくさん自生しているといわれている。

 


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