November 29, 2008

NPO法人東アジア交流学院 2008・忘年会

dfaeebf1.JPG

■2008,11,22(土)

今年も、事務所の真下にある、かくれ家「あるじゃん」で忘年会を開催した。個人的にも、よく利用させていただいてる。事務所の階段を下りたところにあるので、つい、立ち寄ってしまうのである。(苦笑)

今回は、11月公開講座が終わった後にしたので、公開講座に参加した人に遅れて駆けつけた人が加わっての忘年会となった。公開講座の講師の日野さんにも参加していただいた。また、中国語教室の受講生も交えての忘年会でもある。ご参加ありがとうございました。謝謝!

会員ではないが、始めて参加していただいた方もいる。NPO法人東アジア交流学院の忘年会といいながら、かなりアバウトな呑み会になっている。そういえば、昨年の忘年会も、いろんな方に参加していただいた。老若男女に外国人も・・・

今回の話題も、公開講座のテーマ「北京は自転車に乗って」になった。当然といえば当然なのだが、話題はすぐに横道にそれてしまうのも当然か・・・?(笑)

日野さんの子連れ北京留学の話だが、中国に語学留学する人はかなり多いと思うが、三人の子どもを連れての留学は・・・そのような方は、ほとんどおられないのではないのか。まして、留学中に子どもを現地の小学校に通わせることは聞いたことがない。・・・ように思う。

彼女は笑って話してくれたが、「子連れ留学は大変でしたでしょう?」と、よく聞かれるが・・・、一番つらかったことは、子どもを実家に預けて単身で留学していた時だった。そうである。母親の思いは、海より深いんだなあ・・・

  続きを読む

Posted by easia at 22:17Comments(0)TrackBack(0)

November 28, 2008

2008年11月 公開講座 その2

568e675d.JPG

■2008,11,22(日)

■テーマ;「北京は自転車に乗って」その後

===子連れ北京留学の子どもたちは、今===

■講 師;日野好子さん 元日野百草堂店主

■要 旨;その2

●その中華料理のレストランでの出会いは・・・

私がトイレに行くと、後ろで日本語が聞こえてきた。「あら、ここのトイレは壊れているわね。」とても流ちょうな日本語だけど、明らかに日本人ではないことが判った。だから、久しぶりの日本語であったが、そこはトイレの中でもあるしそのまま席に戻った。

食事のあと北京観光のツアーが続き、「あなた日本人でしょう?」と彼女が声を掛けてきた。日本に留学したという彼女は、子連れの日本人が珍しくまた懐かしくもあったのだろう。そして、私が何の目的で北京に来たのか、根掘り葉掘り聞いてくるのだ。

さらに、私が住まいのことなどで、留学を躊躇していることを知ると。「それなら私の家に住むといいわ。」と、提案してきたのだった。「・・・。」あまりの唐突な提案に、思わず言葉を失った。そして、「私、騙されてる。」と思った。初めてあった見ず知らずの、しかも日本人の私に、なぜここまで親切なのだろうと・・・

中略

最後に、ずっと思っていた素朴な疑問を彼女に尋ねた。「なぜ、あなたはこんなに親切にしてくれるの?」と。「私は日本に留学していたときに、日本人にとてもやさしく親切にしてもらったのよ。もちろん、親切な人ばかりじゃなかったわ。でも、やさしくお世話してもらった人には、その恩を返せないから、中国に留学しようとしている日本人のあなたにそれを返したいのよ。今度は私が親切にする番よ。」

・・・その時、彼女を信じてみようと思った。

  続きを読む
Posted by easia at 04:23Comments(0)TrackBack(0)

November 25, 2008

2008年11月 公開講座 その1

c3102377.JPG

■2008,11,22(土)

■テーマ;「北京は自転車に乗って」その後

===子連れ留学の子どもたちは、今===

■講 師;日野好子さん 元日野百草堂店主

10月の公開講座は、「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART2というテーマでフィールドワークを実施して、小郡官衙遺跡を中心に「太保府」である可能性を検証した。関屋土塁の防御施設から、小郡の「太保府」の位置づけを確認することができたフィールドワークであったと考える。

今回の11月公開講座は、東アジア交流学院にとっては久しぶりに日野好子さんを招いて、子連れ北京留学を語っていただくことになった。前回、といっても7〜8年前になるが、会員も新しい方もおいでなので、北京留学のいきさつとその後の子どもたちの近況を尋ねてみようという企画である。

手元に1999年発行の一冊の本がある。題名は「北京は自転車に乗って」だ。三人の子どもたちと行った中国留学。とのサブタイトルがある。本の帯には、「北京で過ごした三年間の泣き笑い。36歳、主婦の私が、3人の息子を連れて北京に留学することになった。どこに住めるの、子どもたちの学校は?言葉にも、北京の寒さにも負けず、ガンと闘い、自転車で走り回った痛快中国留学記。」とある。

何度聞いても、いや、読み返しても、よくぞ大変な留学生活を送られたものだと思うし、そのバイタリティに感心してしまう。そして、中国での出逢いのすばらしさを羨ましいとも思ってしまう。もちろん著者は、今回公開講座の講師をしていただく日野好子さんである。

今回、その全部は紹介できないので、一部を要旨として紹介するに留める。

■要 旨;その1

●はじめに

そのころ私は、夫の仕事の関係で西宮に住んでいた。末の息子が幼稚園に入学すると、夫は大阪中国語学院に二人分の入学申し込みをしてきた。

え?私も習うの?この語学の苦手な私が中国語を?しかも、もうじき36歳になろうとしているこの私が新しい語学を習う?でも、土曜日に家事をしなくて済むし、自由な自分の時間が持てるのは魅力だった。

しかし、そんな私に夫はもっと恐ろしいことを言った。「僕はあと一年ほどで、会社を辞めたい。・・・中国とどこか英語圏に二年ずつ留学したい。君は中国医学を勉強するといいよ。子どもたちはトリリンガルになれるしね。」

まさに晴天のへきれきであった。私が今から大学に行くっていうわけ?後頭部をガンと殴られた気分だった。

それでも大阪中国語学院に、通い始めることになった。そして、初めて北京に行ったのは、その年1993年の8月だった。下調べをかねて長男だけを連れて、北京語言大学に一ヶ月の短期留学をした。その時に、大学の売店に生理用のナプキン「ウィスパー」を見つけた。信じられないかも知れないが、その時に北京での留学生活ができると感じた。

それにもう一つ、留学生活だけでなく今でも付き合いのある李玉華(リユウファ)さんとの出逢いがあった。この出逢いがなければ、留学生活も途中でやめて帰国していただろうと思う。

それは、中華料理のレストランのトイレだった。

 

 

  
Posted by easia at 00:57Comments(0)TrackBack(0)

November 24, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.78

8468ae9f.JPG

■2008,11,16(日)

★今年も「柿狩り」に90人以上が参加!★

===久留米市日中友好協会主催「留学生交流・柿狩り」を開催!===

11月16日(日)に恒例の「留学生交流・柿狩り」を、市日中主催で開催しました。雨が心配されましたが、当日は天気も回復し絶好の柿狩り日よりとなりました。参加者一同、久留米大学に集合し貸し切りバスで田主丸の高山果樹園をめざしました。

この柿狩りは、二年前から久留米大学と久留米ゼミナールの中国人留学生たちが楽しく交流する場としても設けられました。また、中国駐福岡総領事館からも魏能涛(ウェイノンタオ)教育担当領事をはじめ、領事館の皆さんにもたくさん参加していただきました。

みんなで柿狩りを楽しんだ後は、これも恒例のバーベキューで楽しく交流を広め深めました。

■ご案内(予定)

◎12月 3日(水)福岡県日中友好協会理事会 13:30〜 福岡市庁舎

●12月 6日(土)残留邦人帰国者交流会 10:00〜 えーるピア久留米

◎12月 6日(土)久留米市日中友好協会理事会・忘年会 17:30〜

●12月13日(土)久留米大学国際交流懇親会 17:00〜 久留米大学

 

  続きを読む
Posted by easia at 22:49Comments(0)TrackBack(0)

November 15, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.77

e39912bd.jpg

■2008,11,15(土)

★寒い中での「くるめ農業まつり・中国展」開催!★

===久留米リサーチセンターで「久留米・合肥友好訪問団」写真展開催!===

11月8日(土)9日(日)に恒例の中国展(くるめ農業まつり)が、久留米百年公園において開催されました。農業まつりに日中友好協会がなぜ?と思われるでしょう。それは・・・

その歴史は、農業まつりが始められたときに遡ります。市民になじみが薄かったまつりへの参加を促す目玉として、中国物産展を行いました。その時に久留米市日中友好協会が、そのお世話をさせていただきました。

それ以来市日中友好協会は、中国物産展だけでなく中国を広く知っていただくために中国展を開催し、農業まつりに特別に参加させていただいています。

今年も、リサーチセンター入り口で「久留米・合肥友好訪問団」の写真展と「久留米市日中友好通信」の展示を行いました。友好通信は、当協会の日常の活動を知っていただくのにわかりやすいと評判です。

また、屋外のブースでのテントで、中国菓子の販売も行いました。久留米大学の留学生たちがアルバイトで販売のお手伝いをしてくれました。寒い中大変だったと思います。ありがとうございました。謝謝!多謝!感謝!

■ご案内(予定)

◎11月16日(日) 留学生交流「柿狩り」 10:00〜 田主丸高山果樹園

◎12月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:30〜 福岡市庁舎

●12月 6日(土) 中国残留邦人交流会 10:00〜 えーるピア久留米

◎12月 6日(土) 久留米市日中友好協会理事会・忘年会 17:30〜

●12月13日(土) 久留米大学「国際交流懇親会」 17:00〜 久留米大学

  続きを読む
Posted by easia at 19:22Comments(0)TrackBack(0)

November 11, 2008

2008年10月 公開講座(フィールドワーク)その4

41748a69.JPG

■2008,10,26(日)

■テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART2

===筑後・小郡官衙遺跡群とは何かを検証する===

■講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院

■場 所;下高橋官衙遺跡(大刀洗町)〜上岩田遺跡〜井上廃寺跡〜小郡官衙遺跡〜大保横枕環濠集落遺跡〜関屋土塁遺跡(基山町)

■関屋土塁遺跡・とうれぎ土塁遺跡

●佐賀県基山町

昼食後に三国丘陵から国道3号線に出て、JR基山駅をめざす。すぐに目的の場所に着いた。その場所は現在国道3号線とJR鹿児島本線が通っており、土塁(小水城)といっても基底部の部分だけが残されているだけである。

土塁の基底部となってたところには、基山町教育委員会による遺跡の説明板が設置されている。

関屋土塁は、基山(きざん)東麓を通る「城の山道」を経て、筑後・肥前国府へと至る主要道路の分岐に位置する。千塔山(せんどやま)丘陵を中心に東にある城の上(しろのうえ)丘陵との間に土塁はある。

関屋土塁ととうれぎ土塁は、663年に倭の百済(くだら・ペクチェ)救援軍が唐(とう・タン)・新羅(しらぎ・シルラ)の連合軍に敗北した白村江(はくすきのえ・パクソンガン)の戦いの後、665年に築かれた基肄(きい)城との関連のある施設とされる。

関屋土塁の西に位置する千塔山丘陵と向平原(むかいひらばる)丘陵の間にある「とうれぎ土塁」を経て基肄城へつながる防衛ラインを構成することから、「太宰府」を中心としたこの一帯の守りを目的として築かれたと考えられている。

  続きを読む
Posted by easia at 23:02Comments(0)TrackBack(0)

November 10, 2008

2008年10月 公開講座(フィールドワーク)その3

3dfdeac0.JPG

■2008,10,26(日)

■テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART2

===筑後・小郡官衙遺跡群とは何かを検証する===

■講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院

■場 所;下高橋官衙遺跡(大刀洗町)〜上岩田遺跡〜井上廃寺跡〜小郡官衙遺跡〜大保横枕環濠集落遺跡〜関屋土塁遺跡(基山町)

■小郡官衙遺跡

●小郡市字向築地・字八反田

小郡官衙遺跡は7世紀末におかれた御原郡(みはらのこおり)の役所(郡庁)である。政務を司る「政庁」や税を保管する「正倉」のほか、様々な業務にかかわる建物が整然とした配置で建てられていた。

これらの建物は8世紀中頃になると、全て新しく立て直されている。新たな施設を区画するために掘られた溝から1,000本にも及ぶ多量の鉄鏃が出土していることから、この新たな施設は主に軍事的な役割を果たしていたと考えられている。

第2期の役所跡は、真北からおよそ45度西に傾いて整然と様々な建物が建てられている。一辺が約240m四方の規模と推定されている。規模の大きさもさることながら、なぜ中心軸が北東から南西になっているのかが気になる。北東には、少々ずれるが花立山(城山)を望むことができる。

花立山には、県指定文化財(史跡)の穴観音古墳がある。6世紀後半に築造された全長35mの前方後円墳で横穴石室の装飾古墳があり、周辺部からは小郡市側だけで約300基の円墳が見つかっている。この地域のいわゆる聖地と考えて良い場所である。

それに対して8世紀中頃に立て直された第3期の施設は、南北を中心軸としている。このことは明らかに基本的な思想が違うことを物語っている。ということは、この間に為政者の考え方に変化があったか、為政者そのものが代わったことが可能性として考えられる。

九州王朝の首都太宰府の中心軸は南北になっていることから、太宰府と小郡官衙遺跡(太保府であるとしたら)との間には同じ思想での築造ではなかったことが考えられる。このことも考慮しておく必要があるだろう。

  続きを読む
Posted by easia at 23:33Comments(0)TrackBack(0)

November 09, 2008

2008年10月 公開講座(フィールドワーク)その2

37d77231.JPG

■2008,10,26(日)

■テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART2

===筑後・小郡官衙遺跡群とは何かを検証する===

■講 師;井上 和人さん NPO東アジア交流学院

■場 所;下高橋官衙遺跡(大刀洗町)〜上岩田遺跡〜井上廃寺跡〜小郡官衙遺跡〜大保横枕環濠集落遺跡〜関屋土塁遺跡(基山町)

■上岩田遺跡 

●小郡市上岩田字平塚 磐戸公園 国指定文化財(史跡)

この場所には7世紀後半頃、規則正しく建ち並ぶ堀立柱建物や、寺院の金堂と思われる基壇を持つ建物があったとされる。特に発掘調査により多数の瓦や硯、文字を記した土器、帯を飾る金具などが見つかっているのが特徴である。

天武7年(678年)に起こった筑紫国大地震で多くの建物に被害が出たことから、役所の機能は小郡官衙遺跡に、寺院は井上へと移転したと考えられている。

7世紀後半に設置されたとされる役所と寺院の機能を併せ持つ、上岩田遺跡を検証してみたい。

  続きを読む
Posted by easia at 21:09Comments(0)TrackBack(0)

November 08, 2008

2008年10月 公開講座(フィールドワーク)その1

093accef.JPG

■2008,10,26(日)

■テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART2

===筑後・小郡官衙遺跡群とは何かを検証する===

■講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院

■場 所;下高橋官衙遺跡(大刀洗町)〜上岩田遺跡〜井上廃寺跡〜小郡官衙遺跡〜大保横枕環濠集落遺跡〜関屋土塁遺跡(基山町)

9月の公開講座では、再び郷土の古代史に焦点を当て、筑後小郡官衙遺跡群の考察を行った。そして、大和王権による地方の一官衙(郡庁)ではなく、九州王朝の首都太宰府を防御するための施設「太保府」である可能性があることがわかった。

三公のひとつ「太保」、天子の徳を安んじ保つ「太保府」の跡ではないか。ということは、有明海周辺に散らばる神籠石山城遺跡の分布から、また鉄鏃が1,000本も出土していることや「太宰府」との間に「関屋土塁」と呼ばれる小水城跡が存在することなどから、首都太宰府の防御施設としての存在を強く意識した。

そこで、今回のフィールドワークは、小郡官衙群を視察しそのことを検証するためのフィールドワークである。当日、NPO法人東アジア交流学院久留米事務所に集合して、まずは三井郡大刀洗町の下高橋官衙遺跡へ向かった。

※画像は、上岩田遺跡で発掘された「金堂」跡と見られる基壇である。

  続きを読む
Posted by easia at 19:16Comments(0)TrackBack(0)