October 18, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.76

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■2008,10,18(土)

★友好都市合肥市内の大変化にビックリ!★

===「久留米・合肥友好訪問団」帰国!===

久留米市日中の中嶋会長を団長とする「久留米・合肥友好訪問団」(14人)が10月11日から15日までの5日間、合肥市などを友好訪問しました。11日は揚州に泊まり、12日には揚州、鎮江を視察し、夕方に合肥市に到着しました。

13日の午前中に、新華学院を表敬訪問し、趙副学院長から歓迎のあいさつを受けました。その後、学院の日本語教室を参観し、団員も一緒に授業に参加して楽しい時間を過ごしました。

午後からは自動車工場を視察し、夕方に合肥市政府を表敬訪問しました。市人民大会の謝副議長のあいさつを受け、歓迎宴会となりました。

翌日14日は包河(包公墓)公園などを視察、午後に合肥を離れました。15日は上海郊外の朱家角を視察し、夕方上海から福岡に戻りました。

■ご案内(予定)

◎11月 5日(水)福岡県日中友好協会理事会 13:30〜 福岡市庁舎

◎11月 8日(土)久留米市日中友好協会理事会 10:00〜リサーチセンター

◎11月8日(土)〜9日(日) 久留米農業まつり「中国展」9:00〜百年公園

◎11月16日(日) 留学生交流「柿狩り」 10:00〜 田主丸・高山果樹園

※画像は、揚州の痩西湖公園。北京オリンピックをきっかけにリニューアルしています。

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October 13, 2008

佐賀・徐福国際シンポジウム2008

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■2008,10,11(土)

■佐賀で徐福シンポジウム開催

===日本・中国・韓国・台湾から500人参加===

紀元前3世紀に不老不死の霊薬を求めて中国から渡来したされる伝説上の人物、「徐福(XUFU)」にまつわる「佐賀・徐福国際シンポジウム」(佐賀県徐福会主催、西日本新聞社など後援)が11日佐賀市で開幕した。

渡来伝説が残る国内各地のほか中国、韓国、台湾から研究者や市民ら約500人が参加。徐福をめぐる研究を披露し、各国の歴史的つながりに思いをはせた。(2008,10,12 西日本新聞)

私たちNPO法人東アジア交流学院からも、昨年の「連雲港古代交流史の旅」で徐福の故郷である江蘇省カン楡県徐福村を訪れた5人が参加した。目的は、徐福シンポジウムに参加して、国内外の徐福研究の成果を確認することである。もうひとつは、徐福村を訪れたときにお世話になった連雲港市徐福研究所所長の張良群さんに会って、視察にご協力いただいたお礼をのべるとともに親交を温め深めることである。

初日のこの日は、第一部で中国・韓国・台湾・日本から4本の講演があり、中国では官民一体の研究体制が整いつつある現状や、徐福が朝鮮半島や日本列島にもたらしたとされる稲作文化の考察が披露された。その中で、佐賀大学農学部名誉教授の和佐野喜久生氏の「徐福と弥生の稲作」が、徐福渡来の科学的証拠の一つと考えられる事を示唆して非常に興味深いものがあった。

第二部には、中国徐福会副会長でもある張良群氏が「徐福東渡が中日文化交流に与えた影響について」研究の成果を紹介された。徐福は日本では伝説上の人物であるが、中国では歴史上実在した人物であるととらえられている。そして、「日中友好の始祖徐福」として広く紹介されている。

日本からも、大阪徐福友好塾代表の鳥居貞義氏が徐福を伝説から歴史にするために、徐福東渡の痕跡を科学的根拠に基づくものにしなければならない、そのためにも各国が共同して研究をすすめ、徐福渡来を歴史教科書に載せようとの提起がなされた。

その他数多くの公募論文が紹介されて、徐福研究を進めている研究者にとって大変意義のあるシンポジウムであった。各論文についての詳細は、このブログで今後紹介させていただきたいと考える。

 

 

  
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October 12, 2008

2008年10月 公開講座(フィールドワーク)のご案内

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■2008,10,11(土)

==10月公開講座(フィールドワーク)のご案内==

9月公開講座(月例会)では、再び郷土の古代史に焦点を当て、井上和人さん・NPO法人東アジア交流学院に「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART1と題して筑後・小郡官衙遺跡群がどのような遺跡であるかの講義をしていただきました。

そして、小郡市の大保(おおほ)にほど近い小郡官衙遺跡は、天子の徳を保ち安んじる「太保府」であった可能性を考察していきました。また、太宰府との境には小水城の「関屋土塁」があり、太宰府の防御施設としての可能性は高いと考えられます。さらに、9月にはすぐ近くで弥生後期の二重環濠集落跡「大保横枕遺跡」も発掘公開されています。そこで、10月の公開講座はフィールドワークを実施して、小郡官衙遺跡群が太宰府の防御施設であった可能性を検証していきます。

1,日 時;2008,10,26(日) 8:30〜出発

2,集合場所;NPO法人東アジア交流学院久留米事務所 

●住所:久留米市天神町116永利ビル2−D ●�:0942−35−2849

3,テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART2

       ===筑後・小郡官衙遺跡群を検証する===

4,講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院

5,コース;久留米事務所〜下高橋官衙遺跡〜上岩田遺跡〜井上廃寺跡〜

小郡官衙遺跡〜大保横枕遺跡〜関屋土塁〜久留米事務所 15:30帰着予定

6,参加費;2,000円(資料代・昼食代を含む)

7,連絡先;090−3324−9540(田所携帯まで)

※会員以外の方でも参加できます。お知り合いご友人をお誘いの上、数多くの方が参加されることを期待しています。

  
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October 05, 2008

弥生前期の二重環濠

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■2008,10,5(日)

■弥生前期の二重環濠跡「大保横枕遺跡」

===全体発掘は全国初!===

小郡市教育委員会は17日、同市大保の大保横枕(おおほよこまくら)遺跡から、周囲に二重の堀をめぐらした弥生時代前期の二重環濠跡が出土したと発表した。二重環濠跡は福岡市の那珂遺跡など各地で見つかっているが、環濠全体が発掘できたのは全国で初めてという。

堀は楕円形で、外側の堀の周囲は約250m、南北の幅88m、東西の幅79m。内側の堀は南北61m、東西54m。どちらの堀も幅約2,5〜4m、深さ1〜2mのV字形に掘られている。

二重環濠は、堀の内側に設けた住居や食糧倉庫を野獣などから防御するために掘られてとされる。大保横枕遺跡の二重環濠の内側や周辺には、住居や食料を保管した「貯蔵穴」が複数発見されており、小郡市教委は今後、住居や貯蔵穴の年代を特定し、環濠との関係を調べる予定である。(2008,9,18 西日本新聞)

残念ながら、20日(土)の現地説明会には参加できなかったが、市民350人が参加したと報道されている。この二重環濠跡の大保横枕遺跡は、先日公開講座(月例会)で学習した小郡官衙遺跡の北東に位置する。近くには、弥生後期とみられる甘木市の平塚川添(ひらつかかわぞえ)遺跡があるが、弥生前期には小郡三国丘陵の南にクニの一つが形成されていたと考えられる。

10月26日(日)に計画しているフィールドワークの見学地に、ぜひ大保横枕遺跡の二重環濠跡を入れなければならないだろう。

※画像は、吉野ヶ里遺跡公園に復元された竪穴住居。

  
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October 03, 2008

2008年9月 公開講座 その2

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■2008,9,28(日)

■テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART1

===筑後・小郡官衙遺跡群とは何かを考察する===

■講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院

■要 旨;その2

2,上岩田遺跡・・・7世紀後半

●所在地;福岡県小郡市上岩田字平塚1082−7。

甘木鉄道松崎駅を下車して、すぐ北西側にある史跡公園。いったん南側の国道500号線に出て、迂回する必要がある。すぐ北西に「井上廃寺」が位置する。※画像の地図を参照

●国指定史跡面積;17,082平方m。

発掘調査を行った遺跡面積は全体で約12万平方mあったが、このうち重要な箇所約1万7千平方mが国指定史跡となった。工業団地の予定地であったので、小郡市が開発公社から毎年次、買い戻しを行っている。数年後に史跡公園として整備する計画になっている。市保有の部分は、すでに仮整備をして公園になっている。

上岩田遺跡は、工業団地造成にともなって発掘調査が実施された。その結果、大規模な基壇(建物の土台)や建物群が発見され、その重要性から当初の土地利用目的を変更し保存に至った。そして、「小郡官衙遺跡群・上岩田遺跡」として国指定史跡となった。

発掘調査は、1995年9月から1998年10月まで3年間にわたって行われた。縄文時代から平安時代にかけての遺跡であることがわかったが、特に飛鳥時代から奈良時代にかけての建物群は、北部九州で最古段階の寺院跡や役所跡として注目され、その歴史的価値の高さから、国の文化財保護審議会の審議を経て、2000年9月6日に国指定史跡として告示された。

 

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