September 29, 2008

2008年9月 公開講座 その1

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■2008,9,28(日)

■テーマ;「太宰府の防御施設・小郡官衙遺跡群」PART1

===筑後・小郡官衙遺跡群とは何かを考察する===

■講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院

8月の公開講座は、梶村晃さんをお迎えして近現代史の「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART3を実施した。5月から続く3回の公開講座により、日清戦争から50年に及ぶ日本の中国・朝鮮侵略が明らかにされた。

9月の公開講座では、再び郷土の古代史に焦点を当て、筑後・小郡市に発掘調査された小郡官衙遺跡群を考察した。

■要 旨;その1

一、はじめに

小郡官衙遺跡群とは、1967年に発掘調査が行われ貴重な遺跡であるとわかった小郡官衙遺跡がまず1971年に国指定の史跡となった。その後、上岩田遺跡が2000年に国指定史跡に追加され、また現在発掘調査中の下高橋官衙遺跡と合わせて小郡官衙遺跡群と呼ばれるようになった。

これら遺跡群のそれぞれの発掘調査による特徴を研究し、その機能を考察してみたい。そして、小郡の官衙群が地方の一役所(郡庁)ではなく、九州王朝「倭国」の首都であった太宰府の防御施設であった可能性を検証してみたい。

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September 27, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.75

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■2008,9,24(水)

★久留米市日中後援「中国を学ぶ」好評開催中!★

===えーるピア久留米・シニアカレッジ講座!===

えーるピア久留米主催のシニアカレッジ講座が5月13日から始まっていて、11月26日までの26回開催されます。久留米市日中友好協会では、その中の「中国を学ぶ」講座を全面的にバックアップしています。

15回目の9月16日は、「中国人から見た日本・日本人」というテーマで、パネルディスカッション形式で久留米大学大学院留学生4人が意見を述べました。その後は、受講されている方たちと熱心に意見交流をしました。

★「久留米・合肥友好訪問団」団員決定!★

===9月7日(日)・「友好訪問団」団員14人が決定!===

久留米市日中友好協会主催の「久留米・合肥友好訪問団」の説明会が9月7日(日)に行われ、団員14人が決定しました。また、団長に中嶋会長、副団長に稲積副会長が選任されました。

「友好訪問団」は、10月11日(土)出発、揚州・鎮江を視察、12日(日)から14日(火)まで合肥市に滞在し、13日(月)には合肥市長を表敬訪問する予定です。15日(水)には上海を視察し、その夜には帰国というスケジュールです。

■ご案内(予定)

◎10月11日(土)〜15日(水) 「久留米・合肥友好訪問団」訪中

◎10月15日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:30〜 福岡市庁舎

◎10月18日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜 国際情報サロン

●11月8日(土)・9日(日) 久留米農業まつり「中国展」 9:00〜 久留米百年公園

  
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September 26, 2008

2008年9月 公開講座(月例会)のご案内

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■2008,9,10(水)

8月の公開講座(月例会)は、7月に引き続き梶村晃さんをお迎えし「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART2改めPART3を実施し、第一次世界大戦以降の中国に対しての日本の侵略行動を検証してみました。

この学習会で、日清戦争(1894〜1895)から50年に及ぶ、日本の中国・朝鮮への侵略が明らかにされました。

9月の公開講座(月例会)では、再び郷土の古代史に焦点を当て、井上和人さん(当学院理事)に「太宰府の防御・小郡官衙遺跡」PART1と題して、筑後・小郡官衙遺跡を考察します。

大和王権の設置による地方の一官衙ではなく、九州王朝の首都である太宰府を防御するための施設であることを検証したいと思います。

ぜひ、多くの方のご参加をお待ち致します。

1,日 時;2008年9月28日(日) 10:00〜

2,場 所;NPO法人東アジア交流学院・久留米教室

3,テーマ;「太宰府の防御・小郡官衙遺跡」PART1

===筑後・小郡官衙遺跡を検証する===

4,講 師;井上 和人さん NPO法人東アジア交流学院理事

5,参加費;500円・資料代として(会員は必要ありません)

6,問い合わせ;事務局 0942−35−2849(田所)まで

※次回10月公開講座(月例会)は、筑後・小郡市の官衙遺跡を中心にフィールドワークを実施します。会員以外の方でも参加できます。ご友人、知人をお誘いの上、多くの方の参加をお待ちしています。

  
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September 25, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.74

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■2008,9,3(水)

★中国・四川大地震義援金!★

===8月9日(土)・駐福岡総領事館に贈呈!===

市日中は、留学生を招いて毎年行っている「柿狩り」に総領事館員の家族の皆さんを招待したり、中国人留学生たちへの支援など、日頃の活動を評価していただき、8月9日(土)中華人民共和国駐福岡総領事館主催の交流会に招待されました。

そのおり、先日大地震で大被害を被った四川省の災害復興のための義援金を、市日中の中嶋会長が武樹民駐福岡総領事に手渡しました。総領事や領事館の皆さんから大変感謝していただきました。ここにブログ上で、義援金にご協力いただいた方々に感謝したいと思います。

義援金へのご協力本当にありがとうございました。謝謝!多謝!感謝!

■義援金協力者の皆さん

上野健三郎、中尾勉、上村ナナ子、古賀朝江、山崎裕章、田中マツヨ、鳥越ヨシエ、山本悟、保田和嘉子、中嶋道生、田中傳、平井哲夫、猿渡英司、中島登代子、古賀富子、田所寛和、久留米市日中友好協会事務局(敬称略)

※合計金額50,000円を、武樹民総領事に手渡し致しました。ご報告致します。ご協力ありがとうございました。感謝いたします。

★合肥友好大使(久留米市中学生訪中団)帰国!★

===8月23日(土)・全日程を無事に終了して帰国!===

8月18日(月)に出発した合肥友好大使(久留米市中学生訪中団)の皆さんが、久留米市と友好都市を締結している中国安徽省合肥市を訪問し、予定通り合肥市の中学生と友好交流を行い全日程を終了して全員無事に帰国されました。

合肥市の中学生宅にホームスティしたり、オリンピックが開催されている北京を訪問したりと有意義な交流体験をされての帰国でした。お疲れ様でした。辛苦了!

■ご案内(予定)

◎9月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜 福岡市庁舎

◎9月13日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜 国際情報サロン

 

  
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September 24, 2008

佐賀・徐福国際シンポジウム

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■「徐福と吉野ヶ里」に迫る

===10月11、12日佐賀で国際シンポジウムが開催===

紀元前3世紀に不老不死の仙薬を求めて日本に渡海したとされる「徐福」に関する「佐賀・徐福国際シンポジウム」(佐賀県徐福会主催、西日本新聞社など後援)が、10月に佐賀市周辺で開催される。

昨年、徐福の故郷を訪ねる「蓮雲港・古代交流史の旅」を行ったNPO東アジア交流学院として、ぜひ参加しなくてはならないだろう。蓮雲港市徐福研究所・所長の張先生も参加されるに違いない。彼の地では、徐福の故郷など案内をしていただいた思い出がある。

新聞発表によると、渡来伝承が残る国内各地や、徐福とゆかりがある中国、韓国、台湾から研究者や市民が参加し一般参加もできる。テーマは「徐福と吉野ヶ里遺跡」である。

佐賀には、徐福上陸地をはじめ、徐福を祀る神社など多数の「足跡」が存在する。徐福の渡来と時期が重なることから、弥生時代最大の環濠集落跡吉野ヶ里遺跡とのかかわりを指摘されてもいる。それらについても考察が進められることだろう。

当学院でも徐福については、フィールドワークなども開催し研究を進めているところだ。吉野ヶ里遺跡と徐福の関係が、どのように模索されているのか興味があるところである。

●佐賀・金立にある、徐福長寿館内の徐福像。公園内には、連雲港市から贈られた徐福の立像も設置されている。

 

  
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September 22, 2008

2008年8月 公開講座 その3

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■2008,8,24(日)10:00〜

■テーマ;「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART3

==「9,18事件からの日中15年戦争」・勿忘9,18==

■講 師;梶村 晃さん NPO東アジア交流学院 九州・沖縄平和教育研究所

■要 旨;その3

六、7,7盧溝橋事件=日中戦争(1937年7月7日)

1,1936年の日本と中国の動きは、第一次北支処理要綱(1月)、第二次北支処理要綱(8月)により北支5省(東北3省、河北、内蒙古)を日本の支配下に置く。ロンドン海軍軍縮条約から脱退し、ワシントン海軍軍縮条約が失効した。

緩遠(すいえん)事件(11月〜12月)、日本軍の軍事顧問と武器を供給された内蒙古軍が中国軍を襲い敗退する。また、西安事件(12月)が起き内戦停止の一時的合意が成され、一致抗日による国共合作が蒋介石と周恩来により実施された。

2,支那駐屯軍の大増強が行われている。始まりは、義和団事件(1900年)終了後の北京議定書(辛丑和約)で8カ国は、北京周辺に軍隊を駐留させることを清に認めさせた事による。

1912年に、清国駐屯軍から支那駐屯軍と名称を変え、引き続き天津に司令部を置いていた。1936年日本は、支那駐屯軍約2000人弱の軍隊を3倍の6000人に大増強する。

3,そして翌年、2,26事件(1937年)が起き、7月7日、盧溝橋事件=北支事変の勃発となった。このことは何を物語っているのだろうか。

七、第二次上海事変(1937年8月13日)

1,大山大尉事件で日中両軍が衝突し、第2次上海事変が始まる。上海港の治安維持のため日本海軍特別陸戦隊が応戦する。また、日本陸軍上海派遣軍を編成し2個師団を上海に上陸させた。さらに、3個師団を投入することになった。

2,9月2日、支那事変の呼称に改める。そして、渡洋爆撃が始まった。

3,11月5日、第10軍杭州湾に敵前上陸。この時、臨時召集された久留米の第18師団も上陸に加えられた。

4,第10軍と上海派遣軍を合わせて支那方面派遣軍となる。総数約20万の勢力となる。中国軍精鋭部隊の敗走が始まる。

5,なぜ中国軍精鋭を上海に終結させたのか。国際都市上海で、国際世論に日本の侵略を訴える事を図ったと考えられる。

6,国際連盟総会(10月6日)で、日本軍の行動は9カ国条約・不戦条約違反の決議を採択する。9カ国条約加盟国会議(11月)に、日本は出席を拒否し事実上の脱退を行い国際的な孤立を深めていく。

7,皇軍は蝗(イナゴ)軍と化し、食料などの現地調達が認められ兵站が間に合わないスピードで進軍し、南京に侵攻した。そして、南京入城(12月13日)後の90日間、「南京アトロシティ」と呼ばれる大虐殺が起こった。

8,武漢三鎮への侵攻が開始され、重慶(チョンチン)爆撃(1939年、1940年、1941年)も始まった。※現在、重慶爆撃での無差別爆撃に対して、重慶市民による裁判が東京で行われている。

八、日本国内はどうなっていったのか

1,ヒト、モノが不足し、国家総動員法(1938年)、大政翼賛会発足(1940年)、国民学校令(1941年)が出され総力戦体制づくりが進められた。また、食料・衣料などの生活物資の配給制(切符制採用)が始まった。

2,朝鮮半島を兵站基地とするため、朝鮮陸軍特別志願兵令(1939年)、第三次朝鮮教育令(1939年)が出され、日本語の授業が強制されて皇国臣民=皇民化教育が推進された。1940年=昭和15年、紀元2600年に創始改名が実施される。そして、朝鮮に徴兵令が施行(1943年)された。

九、南方進出政策方針採択

第二次近衛内閣が発足(1940、7,22)し、東条陸相、松岡外相を要した。仏印、蘭印、マレー半島等の資源確保と援蒋ルートの遮断をめざした。日独伊三国軍事同盟を調印(1940,9,27)し、太平洋戦争への道をバクシンすることになる。

十、戦争の呼称について

事変と戦争の違いは、国際法(宣戦布告)と大義名分(戦いの理由)にあるが、当時の日本はアメリカから石油や鉄くずを大量に輸入しており、戦争の呼び方では対日禁輸処置が取られると判断したため「事変」と呼称したと思われる。

※シベリヤ出兵、山東出兵

※北清事変、満州事変、北支事変、上海事変、支那事変(日中戦争)

※日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦

※大東亜戦争(日本は大東亜共栄圏を創り、アジアの欧米列強からの解放をうたったが、実態は日本による支配強化であった)、戦後は、太平洋戦争、アジア太平洋戦争、十五年戦争などの呼称がある。

●画像は、南久留米駅に残る戦車台である。第二次上海事変では、ここから戦車が貨車に積み込まれ、そして中国大陸へと輸送されたのである。

  
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September 21, 2008

2008年8月 公開講座 その2

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■2008,8,24(日)10:00〜

■テーマ;「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART3

==「9,18事件からの日中15年戦争」・勿忘9,18==

■講 師;梶村 晃さん NPO東アジア交流学院 九州・沖縄平和教育研究所

■要 旨;その2

四、柳条湖事件=満州事変(1931,9,18)

1,東方会議(1927年)で田中義一内閣は、「対支政策綱領」を定める。そして、山東省での利権復活を画策し、第一次から第三次までの山東出兵を行った。

2,関東軍謀略による張作霖爆殺事件(1928,6)が起きたが、日本の軍事顧問はその列車に乗車していなかった。

3,この事件の特質は、�指導者(蒋介石・張学良)不在を衝いて起こされた。�政治関与を禁止された軍人が主導した。�国際法違反の非難を避けるように計画・実施された。�地域概念としての満蒙を拡大した。※なお、この事件現場を周到に準備していたと考えられる写真が残されている。

4,第一次上海事変(1932,2,22)が引き起こされる。ここでの戦いで、久留米師団の「肉弾三勇士(爆弾三勇士)」の伝説がつくられた。また、上海事件(4,29)が、尹奉吉(ユンボンギル)により引き起こされている。この事件では、戦勝祝賀会に出席していた白川大将が爆殺され、重光守が重傷を負っている。

5,満州は日本の生命線として、満州国建国(1932年)、溥儀(プーイ)が三回目の即位をする。以降、国民政府からの分離をめざして華北侵攻をすすめる。また、塘沽(タンクー)協定(1933年)、梅津・何応欽協定(1935年)や土肥原・秦徳純協定(1935年)により中国侵略が進められる。

6,当時の日本国内の状況として、小作争議・労働争議が頻発し、右翼のテロが横行している。浜口雄幸(おさち)、井上準之助、団琢磨が暗殺された。さらに、5,15事件(1932年)や2,26事件(1937年)が起き、軍部ファシズムが台頭してきた。

五、ベルサイユ・ワシントン条約体制の崩壊

1,国際連盟では、リットン報告後満州国不承認を42対1で採決(1933,2,24)した。その約一ヶ月後、日本は国際連盟を脱退(1933,3,27)することになる。

2,ロンドン海軍軍縮会議(1930年1月〜4月)で、ワシントン条約で制限した主力艦から補助艦まで制限を拡大した。また、主力艦建造停止を1936年まで5年間延長している。この会議で、日本は補助艦総トン数比率で妥協したが統帥権干犯問題が起きた。

第2回ロンドン海軍軍縮会議(1935年12月)において、日本は途中で脱退をしている。翌年(1936年12月)、ワシントン・ロンドン軍縮条約満期執行する。

3,ドイツ・イタリアの動きでは、�ドイツのヒトラーは、ベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し徴兵制を復活した後、ベルサイユ条約の非武装地帯ラインラントに進駐した。�イタリアのムッソリーニは、エチオピアを侵略し国際連盟の経済制裁を受けるも実効はなかった。

4,三国同盟は、まず「共産主義インターナショナルに対する日・独協定(日・独防共協定)」(1935,11,25)に始まる。そして、1940年9月27日に、日・独・伊三国同盟(軍事同盟条約)として成立した。

●画像は、久留米公会堂前に設置されていた「肉弾三勇士(爆弾三勇士)」の像が置かれていた台座である。戦争中に三勇士像は、金属回収により撤去された。台座には戦後「耕心園」の文字が刻まれた碑が載せられ、久留米農芸試験所に移設されて現在に至っている。

 

  
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September 07, 2008

2008年8月 公開講座 その1

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■2008,8,24(日)10:00〜

■テーマ;「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART3

==「9,18事件からの日中15年戦争」・勿忘9,18==

■講 師;梶村 晃さん NPO東アジア交流学院 九州・沖縄平和教育研究所

8月の公開講座は、本来であれば「中国・雲南省 古代交流史の旅」を開催した後の「雲南省での出逢いを語る」感想交流会のはずだったのだが・・・。今年の中国の旅は、様々な事情で中止となったため再び梶村さんに来ていただき、「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART3として開催した。

前回7月公開講座のPART2では、「軍都廣島から軍都久留米へ!」を行い中国・朝鮮侵略の中心が、私たちの故郷久留米出会ったことを学んできた。今回は、第1次世界大戦前後からの日本の中国侵略についての考察を深めてみたい。

■要 旨;その1

一、辛亥革命(1911年)

1,西欧列強の進出と清朝の崩壊が、・アヘン戦争(1840年〜1842年) ・太平天国(1851年〜1864年) ・アロー戦争(1856年〜1860年) ・日清戦争、義和団事件、日露戦争 などにより進んだ。

2,第9代光緒帝没、第10代宣統帝「溥儀」即位(1908,11,14)、その翌日西太后没。

3,武昌に革命ののろし挙がり(1911,10,10)第一革命といわれる。湖北軍政府樹立。

4,孫文、南京で臨時大総統に就任、中華民国の成立を宣言(1912,1,1)する。清朝最後の皇帝溥儀退位(1912,2,12)する。

5,袁世凱、北京で臨時大総統に就任(1912,3,10)する。・国会選挙で国民党大勝(1912,12〜1913,2) ・袁世凱、国民党員を政府要職から追放 ・袁世凱に対し各地で挙兵するが失敗(第二革命)する。

6,袁世凱、正式の大総統に選出(1913,10)される。独裁体制を固める。・日本政府「中華民国」を承認(1913,10,6) ・国民党の解散命令(1913,11,4) ・孫文をはじめ国民党幹部国外に亡命する。

7,国民代表大会投票により、袁世凱を「皇帝」に推薦(1915,12)されるも、各地で反対が起こり「独立宣言」をする省があいつぐ(第三革命)。その後、孫文が帰国(1913,3)し、日本政府は「排袁政策」を決定(1916,3)する。

8,袁世凱、帝政取り消した(1916,3)後、病没(1916,6)する。 ・袁世凱の後任大総統に黎元洪が就任する。(1916,6,19) ・北京政府の実態は、軍閥出身の将軍が実権をにぎる。

9,孫文ら広州に護法政府を樹立、北京の軍閥政府に対抗する。

二、21か条の要求(1915年)

1,日本は中華民国袁世凱政府に対し、21か条の要求を提出(1915,1)

2,日本、袁世凱に最後通告(1915,5,7)

3,中国(袁世凱政府)21か条の要求を受諾(1915,5,9)

4,「5月7日、5月9日」を国恥記念日として、排日、抗日の起点となる。

5,ベルサイユ講和会議(1919年)において、「旧ドイツ領とその権益を受け継ぐ」という日本の主張を承認。北京大学他の学生たちは、1919年5月4日(5月7日をくりあげ)天安門広場から抗議のデモを展開するが、当局から弾圧を受ける。以降、五・四運動として全国各地に民族解放闘争が展開される。軍閥政治と帝国主義に反対する闘争である。

6,ワシントン会議(1922年)で、日本はドイツから受け継いだ山東省の租借、利権返還する声明を発表。また、21か条の要求第五号を撤回する。

三、第一次世界大戦の締結=ベルサイユ・ワシントン条約体制

1,ベルサイユ条約(1919,6,28)は、連合国(戦勝国)とドイツ(ワイマール共和国)との間に結ばれた条約で、英・米・仏・伊・日の五強、特に英・米・仏の三国を中心に締結した。ドイツの旧領土と植民地を分割し、東欧のフィンランドからユーゴスラビアに至る新興国の創設をとなえ、ドイツに対する軍備制限と1320億マルク(当時のドイツのGNP約20年分)の賠償を規定した。また、国際連盟の創設と国際労働会議(ILO)その他の創設をとなえている。

2,ワシントン会議で、まず日・米・英・仏の4カ国条約(1921年)が結ばれ、日・米間の太平洋における利権対立激化を調整(現状維持)し、日英同盟が破棄された。また、米・英・仏・伊・蘭・日・ベルギー・ポルトガルと中国の9カ国条約(1922年)では、中国の主権・領土・行政的保全の尊重、門戸開放、機会均等などで日本の進出を抑制した。さらに軍縮条約で日・米・英・仏・伊の主力艦、航空母艦の保有トン数比率を規定(米・英5、日3、仏・伊1,67)し、10年間主力艦建造停止が決められた。

3,ドイツの賠償問題については、賠償不能に対する各国の処置として1930年までにアメリカを中心に210億マルクを資本投下し、ドイツの資本主義を発展させるとした。

このような情勢の中で、1929年10月24日木曜日にニューヨークのウォール街での株価の大暴落をきっかけに世界大恐慌が始まった。このことが日本の中国侵略を一層加速させることになる。

 

  
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September 06, 2008

馬頭琴教室・生徒募集

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■2008,8,31(日)

■馬頭琴教室開講!生徒募集中!

●「スーホーの白い馬」でおなじみの馬頭琴を弾いて見ませんか?馬頭琴を通して、大草原を肌で感じ一緒に楽しみながら学びましょう!初心者の方にも丁寧にご指導いたします。

私たちNPO法人東アジア交流学院では、小学校2年生の国語の教材に「スーホーの白い馬」があることから、子どもたちに本物の馬頭琴に触れ馬頭琴の奏でるメロディに親しんでもらうために、小学校に出向いて馬頭琴の演奏会を行ってきました。この数年間たくさんの子どもたちと馬頭琴の演奏を通して交流し、親睦を深めてきました。

現在ではその演奏交流活動は、福岡県内だけでなく北部九州全体にに広がっています。子どもたちの感想の中に、「僕も、私も、馬頭琴を弾いてみたい!」という声がたくさんあり感激して聞いていました。そこで、身近に馬頭琴に触れ、肌で感じ楽しんで馬頭琴を弾いてもらえるように、馬頭琴教室を開講することになりました。子どもはもちろん、大人の方にも楽しんでいただけるものと思います。

この機会に、是非、馬頭琴教室にご来講いただきますようご案内致します。

◆久留米教室;金曜日(月2回) 10:30〜12:00

◆筑紫教室;水曜日(月2回) 13:00〜14:30

◆粕屋教室;水曜日(月2回) 15:00〜16:30

 ※各教室5人まで、順次受け付けます。

●入会金;3,000円 ●月謝;7,000円(90分レッスン、月2回)

●講 師;Doran(ドラン)

●お問い合わせ; http://www.doranbatokin.com

doranbatokin@yahoo.co.jp

Tel:092-934-1540

※体験レッスンもできます。楽器についてはご相談下さい。その他何でも、お気軽にお問い合わせ下さい。

  
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September 04, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.73

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■2008,8,11(月)

★中国駐福岡総領事館主催・招待交流会!★

===8月9日(土)久留米市日中友好協会を招待!===

久留米市日中友好協会は、8月9日(土)に中華人民共和国駐福岡総領事館に招待されました。これは毎年、中国人留学生や総領事館の家族の方々を招待して行っている「柿狩り」や、日頃の留学生などへの支援活動を評価していただき総領事館へ招待されたものです。

市日中からは、中嶋会長をはじめ16人が参加しました。同日田主丸日中友好協会の皆さんも招待され、合同での交流会となりました。前日に北京オリンピックの開会式が行われたこともあり、総領事館員の家族の方々も一緒に開会式の話題で盛り上がり、また美味しい料理とお酒で楽しく交流が深まりました。

総領事としての執務でお忙しい中、ご招待いただきありがとうございました。感謝致します。謝謝!感謝!多謝!

■ご案内(予定)

●8月18日(月)〜23日(土)合肥友好大使(久留米市中学生訪中団)訪中

◎8月23日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜国際情報サロン

◎9月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜福岡市庁舎

◆「久留米・合肥友好訪中団」10/11(土)〜15(水)の参加者募集!

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September 01, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.72

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■2008,8,5(火)

★合肥市中学生友好代表団・「水の祭典」参加!★

===8月4日(月)・友好代表団「くるめ水の祭典」パレード参加!===

8月4日(月)、合肥市中学生友好代表団(中学生20人、引率者4人)は、午後から行われた「くるめ水の祭典」パレードに参加しました。

団長・陳穎(チェンイン・瑤海区教育局副局長)さんをはじめとする代表団のみなさんは、久留米観光コンベンション・国際交流協会のパレード隊に久留米市中学生合肥友好大使や久留米大学留学生会、モデスト親善大使の皆さんたちと一緒に、久留米市民との友好親善交流を行いました。

午前中に雨が降り、蒸し暑い中でのパレードお疲れ様でした。辛苦了!

■ご案内(予定)

●8月 2日(土)〜9日(土) 合肥市中学生友好代表団来久

 ◆6日(水)青陵中学校訪問・さよならパーティー

◎8月 9日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜 国際情報サロン

●8月18日(月)〜23日(土) 合肥友好大使訪中

◎9月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜 福岡市庁舎

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Posted by easia at 09:55Comments(0)TrackBack(0)