August 23, 2008

シニアカレッジ「中国を学ぶ」

d77d360d.JPG

■2008,7,22(火)13:00〜

■シニアカレッジ「中国を学ぶ」

■テーマ;中国文化の馬頭琴と中国剪紙を体験する

■講 師;馬頭琴:ドランさん 中国剪紙:王文君さん

現在、えーるピア久留米においてシニアカレッジ講座の「中国を学ぶ」が開催されている。久留米市日中友好協会からの要請で、中国文化を知っていただくためにNPO法人東アジア交流学院から二人の講師を派遣した。前月の6月15日にも、中国と日本の古代交流の歴史を紹介するため、私も講師としておじゃまをさせていただいた。

今回は、中国の民間に伝わる文化の紹介として、内モンゴルフフホト出身のドランさんに馬頭琴演奏と王文君さんに中国剪紙の実演講習をしていただいた。

まずドランさんだが、彼女はモンゴル族の出身である。しかし、内モンゴルは現在中国の自治区となっているため、王静という中国名を持っている。日本の久留米大学に留学しているが、パスポートはもちろん中国名である。

彼女は、馬頭琴演奏の特技があるので、県内各地の小学校からの要請で馬頭琴の演奏会を行っている。それは日本の小学校2年生の教科書に「スーホーの白い馬」という教材があり、そこで馬頭琴が登場するからである。昨年度も久留米市内の7校の子どもたちと、馬頭琴演奏で交流を深めさせていただいた。

王文君さんの中国剪紙であるが、一般的には映画などで家のドアなどに「福」の字が逆さまに貼り付けてあるのをご存じだろうと思う。幸福が家に止まるようにとわざと逆さまにしてあるのだそうだ。

また、もともとはハサミで切ったものを「剪紙」といい、彫刻刀で切ったものを「刻紙」と呼んでいたのだが、現在はどちらも「剪紙(せんし)」と呼んでいる。彼女も幼い頃から母親に教えられて「剪紙」の魅力にとりつかれてしまったそうである。彼女の中国の古典に登場する美人画は、彼女が独自にデザインしたなんとも素晴らしいものである。

およそ30人ほどのシニアの方々に、中国文化に触れていただいた。大変有意義な講座であったと思う。

  続きを読む

Posted by easia at 18:20Comments(0)TrackBack(0)

August 22, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.71

45952a11.JPG

■2008,8,4(月)18:00〜

★合肥市中学生友好代表団・歓迎夕食会!★

===友好代表団引率者を招き歓迎夕食会を開催!===

8月3日(日)、「天井座敷」において合肥市中学生友好代表団・引率者歓迎夕食会を開きました。代表団の団長・陳穎(チェンイン・瑤海区教育局副局長)さん、李存銀(リーツンイン・第38中学校校長)さん、張文宝(ジャンウエンパオ・第38中学校書記)さん、陶亜俐(タオヤーリー・外事僑務弁公室通訳)さんの4人を招待しました。

久留米市日中友好協会からは、中嶋会長をはじめ10人で歓迎しました。通訳を交えて楽しい歓談を行い、歓迎と慰労を兼ねた夕食会は盛会のうちに終了しました。謝謝!多謝!感謝!

■ご案内(予定)

●8月 2日〜9日(土) 合肥市中学生友好代表団来久

 ◆4日(月)「水の祭典」パレード参加 ◆5日(火)筑後川水天宮花火大会

◎8月 9日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜国際情報サロン

●8月18日(月)〜23日(土)合肥友好大使(久留米市中学生訪中団)訪中

◎9月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜 福岡市庁舎

  続きを読む
Posted by easia at 19:16Comments(0)TrackBack(0)

August 14, 2008

2008年7月 公開講座

26fac1f5.JPG

■2008,7,27(日)10:00〜

■テーマ;「弥生時代の甕棺焼成ルーツは雲南省」

===弥生時代の土器焼成技術をさぐる===

■講 師;柏原 孝俊さん 小郡市文化財保護課

2008年度の中国古代交流史の旅は、日本の稲作の故郷ではないかと考えられる雲南省を訪れる予定であった。しかし、様々な事情で実施することを中止せざるを得なくなったことは、非常に残念である。雲南省は、少数民族が多い。また、各地に残る棚田は日本の山村に分布する棚田と同じである。

今回の公開講座では、小郡市文化財保護課の柏原孝俊さんをお招きして、弥生時代に使用された甕棺のルーツが雲南省にあることをさぐってみたい。

■要 旨;

●はじめに

従来の土器の研究は、様式と編年を中心に研究が進められてきた。土器の焼成技術の研究は、弥生土器研究上必要であるとの共通認識があるが、評価がまだ確立以前の段階である。

従来、弥生土器の焼成方法は、簡単な野焼きと考えられてきた。「世界炎の博覧会」の準備の一環として、ベトナム・ヴィンドック村、中国雲南省西双版納、タイのハンケオ、モンカオケオ村の土器焼成を視察した結果、従来の野焼き説を改める必要性を感じた。

今回は、広くアジア各地の土器焼成事例を紹介し、焼成実験の成果をもとに弥生土器の製作・焼成について考えてみたい。

●民俗事例の紹介

�ベトナム=ヴィントワン省バックビン県ヴィンドック村のチャム族

焼成法は野焼きである。焼成に関してなんらの構成物も用いない野焼き。風の利用が不可欠で、常に一定方向から吹く風が要求される。焼成時間が約20分と短いのも、この焼成法の特徴である。焼き上がった土器の色調はくすんだ褐色で、土器に見られる黒斑は不規則である。

�タイ=タイ北部 ハンケオ村、モンカケオ村

燃料に藁を使用し全体を覆い、さらに上から灰をかぶせる焼成方法。焼き上がった土器は、黄褐色を呈し、明るい色調のものが多い。また黒斑の位置には規則性がある。

�中国=雲南省西双版納マントウ村のタイ族

焼成法は、土器と燃料が藁と粘土で覆われ、燃焼空間が完全に密閉される泥窯といえる構造。したがって少ない燃料で熱効率がよい焼成法である。焼き上がった土器は、黄褐色を呈し、明るい色調のものが多い。また黒斑は少なく、黒斑の位置には規則性がある。

●土器の焼成実験

雲南式(泥窯式)と野焼きを比較する。焼成後の土器の色調と黒斑を比較してみると、弥生土器(甕棺)は野焼きで作られたのではない、と考えられる。

●焼成後の痕跡と残滓

焼成粘土塊、破壊痕土器、黒斑、色調などを考えると、弥生土器の焼成技術は雲南式と同様に泥窯で焼かれたものである。

●弥生時代の土器焼成遺構の事例検討

雲南式と考えられる遺構として、佐賀県鳥栖市大久保遺跡、大阪府富田林市喜志遺跡がある。大久保遺跡には、甕棺を焼成した泥窯の跡が見つかっている。ここでは、甕棺を二個同時に焼成したと考えられる。

●まとめ

弥生土器焼成解明の現状は、日本国内の事例研究が少なく今後各地の弥生土器を研究していく必要があるが、従来の野焼きによる甕棺の製作は改める必要がある。甕棺に限って言えば、その焼成方法は雲南省に遡るといえる。

 

  
Posted by easia at 10:48Comments(0)TrackBack(0)

August 13, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.70

e961015b.JPG

■2008,7,28(月)

★レインボーカップ・国際親善ジュニアサッカー大会開催!★

===7月26日(土)・合肥市屯渓路(tun xi lu)小学校が熱戦!===

7月26日(土)、筑後川安武河川敷グランドにおいてレインボーカップ・国際親善ジュニアサッカー大会が今年も開催されました。久留米との友好都市合肥市からは、屯渓路小学校チーム(団長・江運さん)が参加しました。

コーチの杜輝(ドゥフイ)さんは、第一回のサッカー大会に合肥市代表として出場された方です。今回はコーチとして、試合中にも絶えず大きな声で、子どもたちに指示を出されてありました。結果は、鳥栖市北部グランドで行われた、二位トーナメントに出場し準優勝でした。来年も頑張ろう!加油!

■ご案内(予定)

●8月 2日(土)〜9日(土) 合肥市中学生友好代表団来久

 ◆3日(日) 引率者歓迎夕食会 ◆4日(月)「水の祭典」パレード参加

◎8月 9日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜 国際情報サロン

●8月18日(月)〜23日(土) 合肥友好大使(久留米市中学生訪中団)訪中

◎9月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜 福岡市庁舎

  続きを読む
Posted by easia at 00:01Comments(0)TrackBack(0)

August 12, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.69

5b989ba6.Jpg

■2008,7,19(土)

★中国映画「女帝」(エンペラー)上映会に130人!★

===7月5日(土)・上映前に「中国古箏」の演奏会を開催!===

7月5日(土)13:00より、恒例の中国映画会をえーるピア久留米・視聴覚ホールで開催し、130人の入場者がありました。今回は映画上映前に、久留米ゼミナール日本語学校学生の李雪(リシュエ)さんに「中国古箏」の演奏をしていただき「日中友好条約締結30周年」記念の中国映画会を盛り上げていただきました。ありがとうございます。

今回上映した「女帝」(エンペラー)は、初めてDVDを使用しての中国映画の上映でした。来年の中国映画会は、7月4日(土)に予定しています。

■ご案内(予定)

●7月25日(金)〜28日(月) 合肥市小学生サッカーチーム来久

 ◆試合;26日(土)安武河川敷 9:00〜 ◆27日(日)鳥栖BAスタジアム

●7月27日(日) 「弥生の甕棺のルーツは雲南省」 10:00〜 NPO法人東アジア交流学院

●8月 2日(土)〜9日(土) 合肥市中学生友好代表団来久

 ◆3日(日) 引率者歓迎夕食会 ◆4日(月)「水の祭典」パレード参加

◎8月 9日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜 国際情報サロン

●8月18日(月)〜23日(土) 合肥友好大使(久留米市中学生訪中団)訪中

◎9月 3日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜 福岡市庁舎

  続きを読む
Posted by easia at 23:06Comments(0)TrackBack(0)

August 11, 2008

2008年6月 公開講座

ca08649b.JPG

■2008,6,25(日)10:00〜

■テーマ;「軍都廣島から軍都久留米へ!」

===軍都久留米がどのように誕生したのか===

■講 師;梶村 晃さん 九州・沖縄平和教育研究所 NPO法人東アジア交流学院

6月公開講座は、前回に引き続き「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART2であったが、梶村さんの体調不良のためテーマを変更させていただいた。日中戦争では、私たちの郷土久留米の軍隊も参戦している経緯がある。特に「爆弾三勇士」または「肉弾三勇士」の話は、当時教科書にも載り全国的に有名である。

■要 旨;その1

●鎮台から師団への変遷

鎮台と師団の違いは、国内軍から外征軍への転換であるといえる。鎮台制は、日本国内の各地域を分担して防衛する。いわゆる治安維持のための軍隊である。それに対して師団制は、戦闘、支援、兵站の各部隊で構成され、独立して軍事行動を展開する。外国との戦争を前提とした軍隊になる。

1873年1月9日、6鎮台の軍管が設置される。�東京�仙台�名古屋�大阪�広島�熊本である。翌日の10日に徴兵令が公布された。1882年、山県有朋作の軍人勅諭が発布される。1886年、各鎮台の師団番号が決定される。同時に小学校(4年制)義務制となる。天皇への忠誠心を学ばせるのが目的である。

1888年、鎮台条例を廃止し、鎮台を師団に改変(師団条例)する。この時に近衛師団が創始され、7師団制となる。翌1889年1月22日、改正徴兵令公布し、戸主の意徴兵猶予などを廃止し国民皆兵を実現する。そして、2月11日大日本帝国憲法が発布される。さらに翌年1890年10月30日、教育勅語が公布される。

●外征軍の強化拡大と軍都廣島

1894年8月1日、清国に宣戦布告。8月4日、陸軍省の委託を受け山陽鉄道広島・宇品間軍用線を起工し、なんと20日に完成している。9月15日、大本営を広島に設置し、明治天皇が広島に到着する。日清戦争に勝利し、遼東半島を割譲させるも三国干渉により返還。賠償金約3億6,000万円を得る。以後、「臥薪嘗胆」による軍備拡張に力を入れる。

1895年、山形有朋は、「北は朝鮮、南は台湾と対岸の福建省」であると発言し、「利益線の援用」を主張した。翌1896年、6師団を増設し、近衛師団と12師団体制となる。北進論、南進論の根拠となり、以降50年を支配することになる。であるから、侵略への転換点は日清戦争であることがわかる。そして、1900年に小学校令により授業料徴収をやめ、1904年からは、小学校国定教科書の使用を開始する。

●日露戦争の軍拡から軍縮を経て日中戦争前の状況

1904年に始まった日露戦争時に、4野戦師団が臨時編成され、戦後も第13師団〜16師団として常備師団となる。1907年には、第17師団、18師団を加え6師団を増設し、近衛師団と18師団の計19師団体制となった。さらに、1911年羅南第19師団、1914年龍山第20師団の朝鮮軍を増設し、計21師団となった。

そして、第一次世界大戦後の1925年、陸軍軍縮(宇垣軍縮)によって4師団(第13、15、17,18師団)が廃止された。が、日中戦争で復活している。この年には、男子普通選挙法と治安維持法が成立・施行し、陸軍現役将校学校配属令が公布され、旧制中学で軍事教練が開始された。

1937年7月7日の日中戦争開始以前の師団編成状況は、近衛師団、�東京�仙台�名古屋�大阪�廣島�熊本�旭川�弘前�金沢�姫路�普通寺�小倉→久留米�(仙台)�宇都宮�(名古屋)�京都�(姫路)�(久留米)�羅南�龍山に台湾軍、関東軍、支那駐屯軍の概数23万人体制となっている。支那駐屯軍は、1900年義和団事件の北京議定書で認められた清国駐屯軍が、1912年に支那駐屯軍に改称されたものである。

 

 

  続きを読む
Posted by easia at 10:12Comments(0)TrackBack(0)

August 09, 2008

久留米市日中友好通信 VOL.68

5d4c1f93.JPG

■2008,6,14(土)

★中国映画「女帝」(エンペラー)上映会開催のご案内!★

===7月5日(土)・上映前に「中国琵琶」演奏会も予定!===

7月5日(土)13:00より、えーるピア久留米視聴覚ホールにおいて、中 国映画実行委員会による「日中友好条約締結30周年」記念の中国映画「女帝」が上映されます。会費は、500円(当日)です。この映画は、907年、空前の繁栄を誇った唐王朝が動乱のうちに崩壊し、その後次々と新王朝が建っては滅んでいった「五代十国」といわれた時代の権力闘争を背景に物語は展開します。

監督は、フォン・シャオガン。皇后ワンに、チャン・ツィイー。暗殺された皇帝の息子ウー・ルアンに、ダニエル・ウー。息子の恋人チンニーに、ジョウ・シュンが背約されている。

□物語

ワンは、息子に密かな思いを抱き続けていた。息子は古代舞踊を愛する内気な西南で、かつて愛したワンが自分の母親になってしまったことをきっかけに宮殿とは離れた邸宅に芸術とともに暮らしていた。ある日、皇帝が暗殺されたという密書を受け取り、宮殿に戻ることを決意する。

息子のウー・ルアンは宮殿に戻る途中、刺客に襲われる。幸いに身代わりが殺されて難を逃れたが、彼はこのことで宮廷内では見えざる争いが起きていることを察知する。王宮では、先の皇帝の将軍であるインが権力争いの勝者になるべく、密かに計略を立てていた。

■ご案内(予定)

●6月15日(日) 「日本の中国・朝鮮侵略を考える」 10:00〜 NPO法人東アジア交流学院

●6月19日(木) 久留米ネットワーク会議 14:00〜 国際情報サロン

◎7月 2日(水) 福岡県日中友好協会理事会 13:00〜 福岡市庁舎

◎7月 5日(土) 中国映画「女帝」上映会 13:00〜 えーるピア久留米・視聴覚ホール

◎7月12日(土) 久留米市日中友好協会理事会 10:00〜 国際情報サロン

◎7月25日(金)〜28日(月) 合肥市小学生サッカーチーム来久

 ◆サッカー試合 26日(土)安武河川敷 9:00〜 27日(日)鳥栖スタジアム

 

 

  
Posted by easia at 09:58Comments(0)TrackBack(0)

August 08, 2008

2008年5月 公開講座 その1

85a75d1d.JPG

■2008,5,25(日) 10:00〜

■テーマ;「日本の中国・朝鮮侵略を考える」PART1

===日清・日露戦争から第一次世界大戦参戦までを考察する===

■講 師;梶村 晃さん 九州・沖縄平和教育研究所 NPO法人東アジア交流学院

今年度最初の公開講座(月例会)は、日本の近現代史に焦点を当ててみた。江戸幕府を倒し封建社会から近代国家へと脱却した明治政府が、どのような事を東アジアで行ってきたのか振り返ってみたい。

■要 旨;その1

●柵封朝貢体制と近代国家体制

柵封朝貢体制とは、中国(中華)を中心とするアジアの体制である。いわゆる漢字の文化圏にあたる。中国の皇帝に朝貢することで、超大国の中国皇帝から支配権を認めてもらった。この体制は、「主権」といった概念を欠いている。

それに対して近代国家体制は、ヨーロッパの思想である。万国公法=国際法における主権国家を明治政府はめざした。主権国家は、国境を確定し領土主権を確立。領土内に住民が定住し主権者が統治する。主権国家は対等平等である。このヨーロッパの思想に基づき、幕府を倒し天皇を中心とした中央集権国家を作りあげていくことになる。

●明治政府と朝鮮

明治政府は、日本を主権国家として確立させるため「征韓論」を押し進めることになる。これに先立ち中国との間に日清修好条規を締結するが、対等平等の条約であったことを明治政府は後悔している。その後、琉球の漁民が殺害されたことを理由に台湾出兵を行い、50万両(テール)の賠償金を奪った。そして、中国の柵封体制にあった琉球を強引に日本の領土に組み入れた。1879年の琉球処分である。

その間朝鮮に対しては、アメリカが江戸幕府に開国を迫った同様のやり方で朝鮮に開国を要求し、1876年日朝修好条規(江華島条約)を締結した。1885年福沢諭吉は「脱亜論」を著して、中国の柵封体制から脱却して近代国家として歩むことを提唱した。さらに山県有朋は、1890年の帝国議会で「主権線」では不十分「利益線」の保護が必要であると、朝鮮を日本の「利益線」に組み入れることを提唱している。

●日清戦争

この戦争は、文明と野蛮の戦い(義戦)と呼ばれた。挑戦の宗主権を主張する清国との対立に始まった。日本は、まず1884年日本軍の武力を背景にしたクーデターを引き起こした。甲申事変である。翌年、天津条約を清国と結び、日清両軍の朝鮮からの撤退と朝鮮への出兵は事前通告が必要であることが決められた。

1894年2月甲午農民戦争(東学党の乱)が起き、6月には京城・牙山間で清日両軍が対立した。そしてついに、7月25日、豊島沖海戦で戦闘が始まった。宣戦布告は、8月1日である。9月には、陸軍が平壌を占領。海軍は黄海海戦で勝利を得て制海権を握った。その後、鴨緑江を渡河し11月には遼東半島を制圧し、1895年2月に威海衛を陥落させた。3月30日に休戦条約が締結され、実質的な戦争はここまでで終わる。

1895年4月10日日清講和条約(下関条約)調印し、清国は朝鮮の独立を承認。遼東半島、台湾を日本に割譲する。軍事賠償金2億両の支払いなどを決めた。しかし、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉を受け、日本は遼東半島変換を受諾し、代償金3,000万両を受け取った。

賠償金の使途であるが、当時の日本円で約3億6,000万円、国家予算の約3年分である金額を、軍備拡張費62,7%、臨時軍事費21,9%、皇室財産5,5%、教育基金2,8%、災害準備金2,8%、その他4,3%(中学校歴史教科書・大阪書籍)に使っている。ちなみに、官営八幡製鉄所はこの賠償金を基に着工されている。

清国は賠償金が大きな負担となり、西欧列強は中国に資本投下し、鉄道敷設や鉱山開発の利権を奪った。ドイツは山東半島を占領、ロシアは遼東半島に進出し大連・旅順を強制租借した。朝鮮では、1895年10月に親露派の閔妃が三浦五郎等によって暗殺(乙末事変)され、1897年大韓帝国が成立した。

 

  続きを読む
Posted by easia at 09:44Comments(0)TrackBack(0)