July 16, 2005

久留米市日中通信 VOL.17

−−2005.7.16(土)久留米市日中友好協会発行−−

★中国映画会に120人!!★
6月25日(土)えーるピア久留米視聴覚ホールで・・!
 毎年開催しています中国映画会を、6月25日(土)えーるピア久留米視聴覚ホールで開催しました。今年は、1999年ヴェネチア映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞した、チャン・イーモウ監督の「あの子を探して」でした。午前10時からと午後2時からの二回上映で120人の方々が鑑賞しました。今回も、小さな先生と28人の子どもたちの健気さ、切なさに、会員や多くの皆さんに感動を与えたことと思います。鑑賞して頂いた多くの方に紙面を借りてお礼申し上げます。

★「合肥市市政建設友好代表団」来久!★
7月8日(金)光華楼で歓迎会を開催・・!
 7月7日(木)に、張団長(合肥市人民政府副秘書長)をはじめとする、「合肥市市政建設友好代表団」6人が来久しました。8日は、大分県の宇佐市で市政建設のための視察をしました。その日の夕方から、久留米市日中友好協会は光華楼において、友好都市合肥市の代表団一行の歓迎夕食会を開催しました。会場では、和やかな雰囲気の中で代表団一行や、以前から通訳としてたびたび久留米を訪れている唐さんとも旧交を温めました。代表団一行は、この後名古屋、東京を訪問し帰国されました。
  

Posted by easia at 16:58Comments(0)TrackBack(0)

井真成さんは九州人?

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井真成さん は九州人?

◎去年の10月の話だからいささか古い話で、多くの人が忘れてしまっているとは思いますが,中国の西安で、遣唐使として渡った「井 真成」という人の墓誌が見つかった、というビッグニュースがありました。

◎新聞は古代史の専門家の意見だとしてこの「井」さんは、渡来人系の「井上」のことだとか、大阪の藤井寺市一帯の豪族であった「葛井」のことではないかと報道しました。関西は大いに盛り上がり、西安に石碑を建てる運動にも発展しています。

◎ でも、僕は最初から疑っていました。「井上」とか「葛井」という姓だったら「井」と名乗るはずがないだろう、と。皆、自分の姓には誇りを持ち、偽名や変名を使うのは悪いことをする時か、違う人格になりたいと思った時でしょう。

◎墓誌の銘文によると、「井」さんはわき目もふらず勉学に励んだ人のようです。唐の玄宗皇帝までもがその人格を高く評価して、死後、位を贈ったほどの人です。名前を変える必要はなかったでしょう。遣唐使という言葉は墓誌にはありません。

◎ やっぱり、でした。本名を「井」という人たちが九州は阿蘇地方に今でもいっぱいいたんです。高校教師をしている室伏さんと言う人が、教え子のなかに「井」君がいたことを思い出して、調べた結果わかりました。

◎「井」さんらの話では、「井」一族は神武天皇とも関わりのある古い時代からの名前で、有力豪族だった。「真成」さんが一族の記録にあるかどうかは、今はわからないそうですが。

◎ 「真成」さんはなんのために中国にいったのでしょうか。ポイントは「銜命(かんめい)」の文字でしょう。君主の命令で使者にたつことです。遣唐使の一員と考えても悪くはないが、銜は馬のくつわの意味で、正式な使節ではない感じも。

◎要は古代史の専門家とやらは、「井」などという中国風の姓は日本にはないと思い込んで、いいかげんな推測をしゃべっていたわけです。この件もほんの一例ですが、日本の古代史というのは、実にいいかげんな仮説の上にたっています。(内倉)
  
Posted by easia at 12:21Comments(3)TrackBack(0)